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2012年03月06日

捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと/萬造の泪

2007年1月25日(木) 18:25 ▼コメント:21件


 実話でございましょう。ワタシは宋 文洲 氏を信頼しております。この記事をワタシのブログで取り上げたこと、取り上げ方について、数多の批判は覚悟しております。それでも知ってほしかった。

 今までも何度か、宋氏の記事を参照してきたことはございました。ただ今回のは、どなたにも関心をもっていただきたかった。お考えになることは、一様ではないでしょう。市川に対してだけではなく、内容そのものへのご批判もあるでしょう。それでも触れて欲しいのです。

 本来的には、日経ビジネス・オンラインの登録者しか閲覧できない部分も引用しております。場合によっては、この記事自体の削除要請が入る恐れもあります。その時はご容赦ください。

 できうれば、今後ご登録いただいてから閲覧してくださいますよう、お願い申し上げます。登録は無料です。月会費等もかかりません。

 引用元

日経ビジネス・オンライン/宋 文洲の岡目八目


 より深く

宋 文洲の「言います、答えます」



 萬造が毎朝ネットでチェックするサイトの中に、日経ビジネスオンライン がある。最近のお気に入りは、主婦パートから、一部上場企業の社長に上り詰めた女性連載記事 と北大留学生から起業し、一部上場企業まで育て上げ引退した宋 文洲氏の連載だ。

 特に宋氏の記事には、感心させられることが多い。極めてフラットな視線で日本と中国を見つめており、その優しい語り口はささくれ勝ちなココロを癒してくれる。

 今朝もいつものように、記事を開いたが萬造は身じろぎすらできなくなってしまった。自分の呼吸する音さえ、煩わしく感じてしまった。


捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと/宋 文洲

 1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。

 「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。

 独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。

 女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。洗濯、炊飯、草刈りと、小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました。ほかの子と違ってお母さんがいない少女は、お父さんと2人で家をきり盛りしました。

突然押し寄せた不幸

 小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。

 2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。

 目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。集めたお金は焼け石に水でした。

 かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。もういいから、退院させてください」と。

自ら治療を放棄すると退院

 お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。長い沈黙の後、「父さんは家を売るから、大丈夫だよ」と言いました。それを聞いて、女の子も泣き出しました。「もう人に聞いたの。お家を売っても1万元しかならないのでしょ。治療費は30万元ですよね」と。

 6月18日、少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に「私は娘への治療を放棄する」との書類を提出しました。彼女はまだ8歳でした。幼い子につらい思いをさせてしまったことを知ったお父さんは、病院の隅で泣き崩れました。そして娘を救うことのできない自分を恨み、運命の理不尽に怒りを覚えました。

 娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられたうえに、貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません。8歳になっても靴下さえ履いたことがありません。それでなくてもつらい人生を歩まなくてはいけなかったのに、さらに追い打ちをかけて病に苦しめられるとは。

 退院して家に戻った少女は、入院する前と同じように家事をし、自分で体を洗います。お父さんに、自分は勤勉で、かわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残してほしい。そう願いながら、1つだけお父さんに甘えました。

 新しい服を買ってもらい、お父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです。それもお父さんを思ってのこと。「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と。

70万元の寄付が集まり、治療を再開

 ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。

 少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。

 化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。

訪れた運命の日

 2カ月の化学治療の間に、何度も生死をさまよいましたが、腕のよい医師の力もあって、一時は完全回復の期待も生まれました。しかし、…。やはり化学治療は、病が進行し衰弱していた少女の体には、無理を強いていたのです。

 化学治療の合併症が起き、8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました。朦朧とした意識の中で彼女は自分の余命を感じます。翌日、看病に来た新聞記者に女の子が遺書を渡しました。3枚もの遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています。8月22日、病魔に苦しめられた女の子は静かに逝きました。

 少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました。インターネット上も涙に溢れかえり、彼女の死のニュースには無数の人々がコメントを寄せました。8月26日、葬式は小雨の中で執り行われました。少女を見送りに来た人にあふれ、斎場の外まで人で埋まりました。

 女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります。写真の下部に「私は生きていました。お父さんのいい子でした」とあります。墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてありますが、その文面の最後は「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」と結ばれています。

殺人は微増にとどまるが…

 紹介した話は、僕が中国で旅している間に偶然に耳にしたものです。詳細に興味を持つ方はどうぞ僕のブログ をご覧ください。

 セレブの奥さんが夫を、医師を目指す兄が妹を、バラバラ殺人する事件が相次いで報道されたり、息子が父親のしつけに耐えられなくなり、母親と幼い兄弟を放火殺人してしまったり、とここ最近、家族同士の殺人事件のニュースを聞かない日がないくらい増えています。

 家族同士の殺人事件は、今に始まったことではありませんが、どうも最近はこれまで以上に凄惨になり、数も増えている気がします。

 2006年版の警察白書によれば、刑法犯で警察が被害届を受理した件数(認知件数)は2001年度に273万5000件だったのが、2005年度には226万9000件と減り、殺人事件は同じく1340件が1392件と微増、放火は2006件が1904件と減っています。検挙件数で見ると、殺人は1261件が1345件と、これも増えてはいますが、目立って増えているわけではありません。

 白書の統計の中で、家族間の殺人がどのようになっているのか分からないので、凄惨な家族殺人が増えているというのは単なる印象論なのですが、どうも現代の日本は、家族の絆や生命の重みを大事にする気持ちが、薄まりつつあるのではないかと感じます。

カネや国に頼る前に、必要なこと

 もちろん勘違いだとは思いますが、そう感じるのは「カネ」さえかければ的な議論が先行し、何をするにしても基本である人の気持ちが置き去りにされているようだからです。例えば、現在、安倍内閣が掲げている教育再生や少子化対策などの是正の議論の中では、必ずといっていいほど、国が対策を講じず、必要な予算をつけなかったから「学校が荒廃した」「子供を産めない夫婦が増えている」というものがあります。

 カネがないからダメになった、という意見に、僕は素直に賛成できません。紹介した中国の少女の家庭は貧乏だったけれども、少女を優しい思いやりのある子供に育てました。お金はなかったですが、少女には夢があり、家族愛が育まれました。

 この少女が生きた四川省の農村部では、1人当たりの年間現金収入は1000元(約1万4000円)も届かないと聞いています。ですから治療費の30万元というのは、年間収入が500万円の人が15億円の治療費を負担するようなものです。

思いやる心がない社会の寒さ

 少女の話がまたたくまに中国全土に広がったのは、中国も最近の経済発展でカネがすべてという退廃した空気が充満し、そして日本をはるかに凌ぐ格差社会の実態があるからだと思います。少女の話からお金よりも大事にしなくてはならないものがある、いくらお金があっても得られないモノがあるのだということに気づかされ、それがなんの見返りもない寄付という形になったのだと思います。

 お金は、あることに越したことはありません。予算もそうです。教育再生、格差社会の是正に限らず、どんな改革を実行するのにも、予算は少ないより多い方がましです。しかし、お金をかければ、必ずいい結果が出るものでもありません。

 学校が荒れているのは、教育予算の規模も関係しているかもしれませんが、僕には家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因があると思えます。もちろん家族だけが人を思いやる心を教えるものではありません。家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう。

 暖冬の中、寒々しい話をたびたび聞くにつけ、心のぬくもりについて考えてみました。


 読み終えた後、萬造は記事をプリントアウトすると息子とともに札幌に住む、元妻に郵送することにした。手紙を添えた。

 前略
 いつも、あなたにばかり苦労をかけて申し訳ありません。せめて自分の最後くらいは、あなたに迷惑を掛けずに済むようにします。
 ひなたに伝えてください。ワタシはいつも、いつも、お前のことを気に掛けているよ、と。
 草々
                      萬造

 手紙に思いがけず落ちた雫をテッシュペイパアで拭き取る。

                             (了)



コメント(21件)

01-25 19:31
おきがる
いつもは、市川さんの長い話のブログが苦手な私も
泣きながら最後まで読み、ブログの方も見ました。

本当に、最近はTVのニュースでは毎日の様に
殺人事件のニュース。

他人を殺す行為も絶対に許せる行為ではないけれど
自分の親や兄弟・姉妹などの親族殺人がおきて
多数報道されています。

この話しの、お父さんの様に日々
自分の暮らしでさえ苦しいのに
その女の子を一生懸命に・・・必死に・・・
そして我が子として愛情を注ぐ様な人もいる。

とても、心温まる話しですね。

でも、自分が同じ状況だったら
私は、どうしてただろう??・・と思いました。
生まれたばかりの赤ちゃんを自分の子として
育てただろうか?・・・と。

私は、お金持ちでは無い。
でも、ある程度の収入があり生活に困る事もない。

なのに、余仕友さんの様な
行動が出来ないかも知れない。

でも、人を思いやり感謝の気持ちを
この先も忘れてしまう人間には なりたくない。

この、娘さんは病気で亡くなってしまったけれど
きっと心から お父さんに感謝したのでしょうね。

何だか、上手く記事を読んで思った感想が
書けなくて すみません。

01-25 20:48
市川 秀一
>おきがるさま
 正直なお気持ちでのコメント、大変尊いものだと思います。コメントせずにはいられなかったお気持ち、とても良く伝わってきます。

 ワタシもこのハナシに触れた瞬間、とりあえず一時でも早く皆さんにご紹介したかった。ですので、このような無様な取り上げ方となってしまいました。

 ワタシもおきがるさまと同様、自分自身に問題がツキツケられていると反省した次第。
 先ずはココから始めてみましょうか。

01-25 21:01
田中
 市川さんへ

 ときどきブログを拝聴しております。
 以前の『鏡の法則』でも泣けましたが、今回のお話は、
それ以上にインパクトがあり、涙が枯れるほど泣いてし
まいました。一人間として、忘れてはいけないことを
あらためて気づかされました。ありがとうございました。

 私の師と仰ぐ方のお話の中に・・・・。
『人は幸せだから感謝するのではありません。感謝する
から幸せになれます。』『いつも不平不満ばかりを持っ
ているような人は、絶対に幸せになることはありません。
 あるがままを受け入ることが、幸せになるための大前提
である。そのうえで、ないものねだりをせず、<あるもの
を活かし>をする。できない理由を考えるよりも、いま
自分にできることをひとつでも多く考えてみる。』
 『そういうう生き方を心がけていますと、小さなこと
にも感謝できる豊かな感受性が芽生えるようになります。
 小さなことに感謝できる人は、自分の苦しみや悩みを
小さく受け止めることができるようになります。その
ぶん、幸せになれるわけです。』

 長くなりまして大変失礼致しました。感謝。

01-25 21:19
みっき-
市川さん・・・そうだよね・・・
教育って学校・家庭・地域・全体で教えないとですよね。

田中さん・・
人は幸せだから感謝するのではありません。感謝する
から幸せになれます。』まちがいないです!

思いやる心大切です。
せつないです・・・・・・。

01-25 21:25
市川 秀一
>田中さま
 もう既に涙が枯れてしまっているワタシでございますが、この話に触れて涙腺がゆるんでしまったこと、白状致しましょう。

 大変示唆に富んだお言葉をご紹介いただき、恐縮でございます。しかと受け止めさせていただきます。

 ありがとうございました。

01-25 21:26
トーちゃん
一生懸命相手を思いやること、生きていく上で一番大事なことなのに、生活に追われて忘れてしまいがちなこと。

金八先生が言っていたことを思い出しました。
「"I Love You"を昔の人はこう訳しました。
”私はあなたを大切にする”」

相手を思いやり、大切にする。

このお父さんとこの女の子は出会ってから別れるまでずっと、こうして生きてきたんですね。

姿勢を正して自分を振り返る機会を与えていただきました。 市川さん、ありがとう。

01-25 21:39
市川 秀一
>みっき-さま
 子どもは社会の宝である、とかつての世界は意識せずとも、行動していたのでしょう。自身に子どもがいようが、いまいが。

 ところが、その当たり前だったことが崩れているのが現代社会。それぞれが自分のことで精一杯になってしまっている現状が、子どもを歪めているのでしょう。

 何度か申し上げている通り、いぢめは、大人が変わらない限り、なくなりません。

>トーちゃんさま
 まさに子は親の鏡、社会の鏡。今変わらなければならないのは、ワタシたち自身なのである、ということをこの記事はツキツケています。

 繰り返しますが、ワタシもまずは反省してみます。

01-25 21:59
2008 @ocn.ne.jp
 私もこの方のコラム全てではありませんが読んでいます。その為に最近会員登録したようなものです。現在は会員でないと最後まで読めませんから。
 今朝、会員である私にもメールが届いておりました。宋さんのコラムの紹介がトップにあったという事もあり、時間的に他のは読めませんでしたが、この件だけは読みました。

 涙もろい私ですが何故か今朝は涙も出ませんでした。このような話は最近特に触れる機会が多くなりました。日本でも格差社会が進行しているからです。
 その為なのか、悲しくなるよりも怒りのような感情が先にきてしまったのです。

 お金がなければ得られないモノや得られない機会もあります。この話では寄附でお金が集まりました。寄附した方にも色々考えがあると思います。
 私は寄附する行為を責めるわけではありません。自分だって同じようにしますから。今だって別の事にしていますから。

01-25 22:00
いくぽん @plala.or.jp
お話にもらい泣き・・・。

中盤にあった言葉に同感。カネがないとダメになる、
賛成できない。私もです。
かつて「貧乏だから・・・」を言い訳に何の罪もない
社会人を4人も殺した犯人が、そう言って法廷で
大暴れいたしました。
「貧乏人を救うために自分は存在する、だから私を
死刑にするのは人類の終わりだ」とか
演説して。
大きな間違いだと今でも思っています。

01-25 22:00
2008 @ocn.ne.jp
ただ、寄附をして「助けてあげた」と、どこかで安心してしまうような自分にも複雑な気持ちがあるのです。根本的な問題の解決になるのだろうかという事です。一随には言えることではありませんが「寄附」という行為は簡単な手段なのではないかと思ってしまう事があります。

 お金というかたちで得られるものがなくとも、誰かの為に動くことはできますか?楽しい事ならできるでしょう。でも、避けたくなるような目の前の問題に立ち向かう事はできますか?自分のすぐ隣で起きているかもしれない格差に気づかぬまま気づこうとしないまま、いざ自分がその立場になって社会を恨んでしまうなんて事はしないと言い切れますか?

 自分を愛するように家族を愛する事ができますか?このような社会が続いていく事は、いずれ自分にも愛する家族も降りかかってくるかもしれない事だと思うのです。
 無関心でいる事や「誰かがどうにかしてくれる」という考えは危険なのではないかと思うこの頃です。しかし同時に「では何ができるのか、何が必要か」という事にもなるのですが、私にもよくわかっていないという情けなさに対する怒りもあるかもしれません。


 

01-25 22:01
2008 @ocn.ne.jp
これは市川さんにむけたコメントというわけではありません。質問も自分に向けている部分があります。ちょうど私もこのコラムを読んでいたので思った事を書かせていただいただけです。
 まとまりのない文章で申し訳ないのですが、本来なら登録されている方しか読めない部分までコピーされているので、この記事自体が削除される可能性もあると思い、うまく言い表せない部分があるのですが投稿しています。

 字数制限を越えてしまい読みにくいと思いますがお許し下さい。

01-25 22:03
十勝清水ふるさと直売所
とても辛いことですが、自分を反省いたします。
ありがとうございます。
                     いもだん子                    

01-25 22:18
イサム
とても考えさせられて心が涙で溢れる話をありがとうございました。
今はこれ以上書く事ができません・・・涙

01-25 23:15
月水
はい 泣きました 女の子の心に泣きました
こういう話聞くと自分がなんて贅沢な生活をしているのだろうとつくづく思います
もー!何てコメントしたらいいのかワカンナイけど
一気に最後まで読みました(以上)

01-25 23:29
市川 秀一
>2008さま
 ご意見ありがとうございます。ご指摘の通り、格差社会は気付かぬうちに、もう隠蔽できぬほど日本全体を覆っています。

 宋氏のブログへのコメントにも記述がございましたが、経済的に豊かなことが、本当に幸せなことなのか疑問であると。東南アジアの国々のいくつかを見てそう思うと。

 日本の水準からすると経済的には貧しい生活を送っている人々も、喜捨をなんの疑問もなく行うそうです。生きていけるのは、仏様のお陰なのだからと。

 お気づきの通り、この話の主題は、何かせずにはおれないココロの尊さ、です。親を失った子犬を雌犬にあてがった場合、子育てを終えたばかりの母犬なら、母乳を与え下の世話をすると「動物のお医者さん」で読んだことがあります。

 小さきものの面倒を見る、というのは動物の本能なのかも知れません。許せないのは、ホトトギスの如きにその善意を利用する者たちが少なくない、ということでしてね。

01-25 23:30
市川 秀一
 携帯電話に代表される便利なモノの影響で、現代人はココロを震わせる機会が減っていると実感します。本来気遣わなければならないことが、確実に減っている。

 その結果、無関心無感動が確実に進行している。もっと先に進まなければならないのに、安住するだけで済ませている。

 ネットによるコミュニケーションは瞬時に多くの人、横にいない人との世間話を可能にしました。そして、近所の気に入らない人間との付き合いをする必要を無くしました。

 これって、ほんとにイイコトなんでしょうか。

 2008さまのご意見に触れて、ワタシも自身に問いかけした次第。お答えにならず、申し訳ありません。色々ご心配いただいたことに感謝申し上げます。

01-26 00:34
市川 秀一
>いくぽんさま
 ココロの荒廃を招いているのは、カネなのか都市化なのか文明なのか、その組合せなのか。そんなこと考える暇もない、って仰る方も少なくないですよね。

 上でも述べましたが、ココロを震わす機会の欠如がその根本にあるのではと。無感動な感謝って、ありえないぢゃないですか、本来。

 演説の内容。本当だとすれば、間違いというより、理屈になっていないですよね。

>いもだん子さま
 反省するのは、ほんとツライ。ココロの鍛錬ですから。でも逃げるだけでは、もっと後悔するのでしょう。

>イサムさま
 先ずはココロを震わせる訓練をすること。そして、小さなことから実行に移すこと。継続すること、積み重ねること。カイゼン、の考え方と同様ですね。

>月水さま
 ワタシも女の子のココロに共振してしまいました。あまりの健気さに。でも、それは血のつながらないお父さんの行動が育てたココロなんですね。

 さすがのワタシも今晩は酒が進みません。

01-26 01:02
MARI @dion.ne.jp
8歳の少女が自らの治療を放棄するとか、
遺書を書くとか・・・
大人の私でさえ、その行為を取ることが
出来るのだろうかと考えてしまいました。

そして改めて今の自分の環境がなんて恵まれて
いるのだろうと感じました。

亡くなった少女を通して、になってしまいますが、
私たちはここから学ばなければならないこと
たくさんありますね。。。

お話を教えて頂き、ありがとうございます。

01-26 01:18
市川 秀一
>MARIさま
 しっかりと育てれば、というより親がしっかりとしていれば、子はそうなるのでしょうね。教育というものの限界をも、このエピソードは伝えています。

 コメントまでしていただき、ありがとうございました。


 コメントを頂けなくても、大変多くの方々に関心を持って推移を見守って頂けた事を感謝致します。ワタシの至らなさのせいで、削除されることがあるかもしれませんが、ワタシはこの記事のことを決して忘れないでしょう。

 この記事に訪れていただいた皆さまに申し上げます。ありがとうございました。

01-27 08:51
ナナ
少女の辛い気持ち、これをわからない人間には
なりたくないです。
おとうさんもとても辛い思いだったでしょうね。
涙が出ます・・・

救いたくても救えない命もあれば
自ら命を絶ってしまう人もいれば
残酷な犯罪に巻き込まれてしまう命もある。

今の時代、人の命が軽く見られている感じが
とても悲しく思います。

最後にある、萬造さんの手紙にまた
心打たれ涙しました。。



どんなに小さな命も大切にしたい。

01-27 09:25
端野萬造 @nifty.com
>ナナさま
 市川に成り代わって、レスさせていただきます。じっくりお読みいただいていたご様子存じております、感謝申し上げたい、と。

 公共広告機構(AC)のメッセージが印象に残っております。『命が大切だ、よりも、あなたが大切だ、がココロに響く』みたいな意味であったかな、と。

 ワタクシ萬造は、夫としても父親としても、どうしようもない部分が存在しております。それを自覚しておりましたので、離婚に応じざるを得ませんでした。

 いつも反省はするのですが、何度も周囲の期待を、自分の期待をも裏切り続けたのです。人間として、欠けている部分があるのでしょうね。

 それでも、人を思いやるココロは持ち続けていたい、と強く思います。失礼いたしました。

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