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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2012年04月03日

’80 樹 林(喫茶店)

2007年3月27日(火) 06:30 ▼コメント:8件

樹 林(じゅりん)

 帯広市東4条南10丁目、現在オカモトの本社が賃貸で入居している旧ケイセイ本社ビルの建っている場所にありました。付近の景色で変わらないのは双葉幼稚園くらいでしょうかね。

 本来はホワイトデー前にアゲるべき記事でしたけど、喪に服していたんでスッカリ忘れていましてね。昨晩憶い出した次第。まぁ、アゲんよりいいだろう、ということで。キーワードについては、またイズレ。って、またどなたかが催促されないと追加しないんでしょうが。

 あ、チナミにワタシ、柏小も六中も関係ございません。イチオ、念のため。創作ですからねぇ。



 こわばった表情のボクをフォーミュラカーが迎えた。意外なほど華奢な姿は、とてもサーキットを奔るレーシングカーには見えなかった。剥き出しのタイヤが、「これでも結構早いんだ」と主張していたけれど。

 ベージュのダッフルコートを着ていた。全然気にいってなかったが、他に適当なものが無かった。母に「洋服センター」の安売りに連れていかれて、無理やり決めさせられた。本当は「とくら」で買いたかった。

 店内を見回す。桂永子は、まだ来ていない。角の席が空いていたので、そこに決めた。コートを脱いで、椅子に置いた。パイプに布貼りなのが、お洒落に見える。

 「双葉幼稚園」の東側に『樹林』はあった。ボクが「柏小学校」を卒業する頃だったか、建物が出来上がって喫茶店になった。「六中」の不良がかった連中は学校の廊下で、コーヒーやコーラを注文して「スペース・インベーダー」をやった話を声高にしていたが、ボクは近寄れなかった。

 「柏葉高校」に合格するのに、内申点が足りずにいた。このままでいくと試験当日八割近く正解する必要があった。クラスで七名が柏葉に入る六中にいることが恨めしかった。他の中学なら、楽勝で内申ランクB以上は確保できているだろうに、六中ではDだった。

 一・一倍という合格倍率もまた、絶妙だった。落ちる確率は低いが、間違いなく落ちる奴がいる、というのは不合格に対する恐怖を倍加させた。「三年B組金八先生」も観ず、バレンタインデーなんて気にもしていなかった。けれど、奇跡が起こった。

 放課後、教室の掃除を終わらせて、ダッフルコートに袖を通すボクの前に桂永子が立っていた。黙って、四角い包みと手紙を差し出す。意識を真っ白にしながら、ボクも黙って受け取った。

 桂永子はクラスでトップの成績だった。学年でも三本の指に入っていると噂されていた。バスケット部のキャプテンも務めた彼女は、眉目秀麗でもあって男女共に人気が高かった。

 ボクが勝っているのは身長くらいのものだ。グループは一緒だったけれど、恋愛対象として考えたことはなかった。むしろ人気者の彼女を疎んじていた。眩しかったせいだ。

 それから、頭の中は桂永子のことで一杯になった。でも自分を見失うことはなかった。桂永子は柏葉合格間違い無しだったから、ボクさえ合格すれば楽しい高校生活が約束されている。だから、気合が入った。

 受験の下見に行く時、並んで歩いていったのが、初めてのデートといえば、言えなくもなかった。受験番号はボクが先だったけれど、机の位置は桂永子が前の方で、彼女の姿が見える場所にあった。

 玄関ロビーに中学の先輩達が書いてくれた檄文があったが、ボクの名前は無かった。代わりに出席番号がボクより一つ前のクラスメートの名前があって、名簿を見間違えたのは理解できたけれど、気分は良くなかった。

 帰り道も、二人で並んで帰った。けれど、ほとんど話はできなかった。受験が早く終わってしまえばいいね、と、卒業式のあとクラスみんなで遊べたらいいね、くらいだった。

 伝えたいことは一杯あった。でも、緊張感がそれを阻んだ。
「明日からがんばろうね」
 別れ際、桂永子が手袋を脱いで右手を差し出した。あの時のあの感触、昂揚した気分は今も忘れられない。

 二日間の受験が済んで、卒業式も終わった。自己採点で合格圏内に入っていることは確認できたから、ボクも余裕があった。卒業証書を手にしながら、言った。「十四日に会えるかな」時間と『樹林』の場所だけを伝えた。桂永子は周りの視線が気になる様子で、うつむきながら、「わかった」とだけ言った。

 合格発表の日、ボクはラジオの前にいた。自分の名前が聞こえたその瞬間、思わず叫んだ。二人とも合格した。桂永子に電話したかったけど、明後日には会えると我慢した。むこうからの電話に期待していたが、かかってはこなかった。

 約束の時間から三十分経った。ボクはまだ一人だ。半分残したココアも冷めてしまっている。コートの上に置いたクッキーの包みに西日がかかった。場所をずらす。ドアが音をたてる度に振り返った。水を注ぎに来たウエイトレスの視線が痛い。

 来ないのはどうしてだろう。桂永子に何か嫌なことしてしまったのだろうか。向いの席を見つめたまま、ボクは固まっている。結局桂永子は来なかった。クッキーを残して店を出た。夜風が身に沁みた。

 ボクは抜け殻のようになっていた。翌々日、桂永子から手紙が来た。「あなたのことは好きだけれど、こだわりは持ちたくありません」と書いてあった。全然意味がわからなかった。

 浮かれていた自分が腹立たしい。ボクは手紙を燃やした。

 後日わかったことだが、その年の柏葉は入学辞退者が多く、二名追加募集した。
(了)

あとがき

 実は余り記憶残ってないんです。でも取り上げてしまいました。想い出のある場所には違いないので。あの頃は近くに北高もありました。1848さまは影も形もない。
 画像についての呪縛を解くことにしました。これからは昭和にまで遡るかもしれません。




コメント(8件)

03-27 09:04
ナナ
奥が深いですね。。
何度も同じ部分を読み返してしまいました;

“せつない恋”より
“ハッピーエンド”の方が好きだけど
入りこんでしまいました。。。

03-27 14:01
ピョン子
このお話はノンフィクション?なんですかねぇ?
私も20数年前をうっすらと思い出しました(^^;)
春のせいか”恋”がしたいですね(*^_^*)
しかも初初しいの☆
(でも現実は3児の母(>_<))

「とくら」懐かしいです(^o^)

03-27 14:55
みっき-
男の子は単純ですので…(笑)

いまだに女の子の気持があまり理解できない36歳です!

03-27 20:50
端野 萬造
>ナナさま
 げにワカラんのはオンナゴコロでございますよ。クラスメートから、チョコレート貰ったんですよぉ。そのコがワタシのこと好きだったのを知らなかったのは、ワタシだけ、というハナシも。

 普通それで、同じ高校に行くことになったんだしモリあがろうってのが普通ですよね。その気マンマンで、沖縄で買ってきたサンゴか何かを渡すべくお手紙書いたらさ。

 「好きだけれど、こだわりは持ちたくありません」って綺麗な文字で書いてある。あれ、なんだったんでしょうね。

>ピョン子さま
 エピソードには現実が散りばめてございますけど、全体はフィクションですよ。ただ、その時代を共有された方には、なんらかの感情が芽生えるのではと。

 映画「誰も知らない」では、子供(父親が皆違う)が何人いても、恋に奔るオンナが描かれておりましたよ。如何です?

 ミズ・とくら、とかご記憶でしょうか。

>みっき-さま
 この時のエピソードのお陰で、女性に真っ当なアプローチできるようになるまで、何年もかかりましたね。でも、ヤッテみると意外に簡単だった。

 もう、ノウハウを駆使する機会はございませんねぇ。

03-27 20:59
みっき-
えっ体験談だったんですか!・・・プププ(ニヤ)

03-27 22:53
端野 萬造
>みっき-さま
 体験談とは異なります。エピソードとして、実体験が裏打ちにあるだけですね。なんせ、創造力に欠けるものですからぁ。

03-29 23:43
しょうぞう。
さりげなく登場させていただき…感涙(T-T)
彼女がいう、この場合の「こだわり」とは何を意味するのでしょうね。
ボクお子ちゃまなのでわかりませ~ん(^^;

03-30 05:59
端野 萬造
>しょうぞう。さま
 あそこの高校のコは、こういうワケノワカラン発言するコ少なくないわよ、とコメントした「同窓生」がいらっしゃいましたね。まさに謎でございます。

 しっかし、どなたも「樹林」についてはご存知ないのかのぉ。
  
Posted by きむらまどか at 06:07Comments(0)創作・失われた街角

2012年03月20日

バレンタイン・デイ・キッス/無訪問の銀座はが野を語る

2007年2月11日(日) 09:00 ▼コメント:12件

 更新しました。ココまで語れる人間って、そんないないでしょうね。(3/3 7:12記)

 周辺情報、更新されてないんですけど、ヤル気あるんでしょーか、とエージェントから苦情が寄せられました。申し訳ございません。必ず手をつけます。モウしばらくお待ちください。今月中にはなんとか。

 感謝!!!! 日曜日、しかもアクセス呼び込めない創作モノ、という悪条件のなか900アクセスいただけましたこと、意外な喜びをもって受け止めております。
 やっぱり国生さゆりのトップ画像が効いたんでしょうね。あはは。

 ↓、唄のサワリが聴けまっせっ!!!

国生さゆり/バレンタイン・キッス2007

(2/12 6:10記)



 周辺情報はおいおい。ほんとは今日あげるつもりなかったのだけれど。

 おニャン子クラブも国生さゆりも、ドーデも良い人間でしたが、「バレンタイン・キッス」は当時からとっても気に入っておりましたね、なぜか。詞のフレーズ、曲調がドンぴしゃなんです。未だにこの曲が愛され続けている、というのはとってもよくワカル。


 参考記事

ウィキペディア:バレンタイン・キッス


バンレンタイン・キッス」が泣かせます。

チョコ好き必見/藤丸のバレンタインズコレクションが熱いのコメント


 いやぁ、18年前にカキコした”幻の作品”がついに世に出ました。感慨深い。供養になった。近いウチにあの人の供養もせんとな。

 この作品の題名は、当然ながら「バレンタイン・キッス」にインスパイアされて決めたのですけど、歌詞がさ、「バレェンタァイン・デイ・キ・イッス!!」ですから、「バレンタイン・デイ・キス」にしたんですよぉ。

 当時、曲名が「バレンタイン・キッス」とは認識してませんでしたね、実は。気付いたのツイこの間ですからぁ。







 部屋に鍵をかけながら、私はため息をついた。理由は、はっきりしている。これからしようとしていることが、つらくて堪らないから。
 別れを決意したとはいえ、7年間付き合った徹のことが嫌いになったわけじゃないのだから。

 徹との関係を終わりにすることにしたのは、私が加藤さんとの結婚を決めてしまったからだ。市役所に北高を卒業してから勤めた彼は、初めてデートしてから3回目、ロアジールでいきなり言った。

「佐知子さん、できたら僕との結婚、考えてみませんか」

 その問いに私は無意識に「はい」と答えてしまっていた。言ってしまった後で、徹の遠くを見る表情が浮かんだ気がしたけれども、後悔はしなかった。

 でも、ディナーの味が分からなくなってしまったのは、やっぱりショックが大きかったせいだろう。初めてプロポーズされたこと、そして、徹ではなく、加藤さんを選んでしまったこと。その二つが、ボジョレーを水ですらない液体に変えてしまったようだ。

 私が徹のことを知ったのは、南商に入ったばかりのこと。知っての通り、あの高校は男女の比率がとてもアンバランス。だから、全部のクラスには男のコがいなくて、男女混合のコンクラ、女のコばかりのジョクラができてしまうことになる。

 徹は一学年上のコンクラ、私はジョクラだった。南商の男のコは数が少ないってことで、モテモテなんだろうって、世間の人は思うかもしれない。けれどもそれは、とんだ認識不足ってもの。少ない分だけ、厳しいチェックが入ってしまって、全然チヤホヤされない。

 信用金庫あたりの男性独身職員が、女性に関して不遇をかこっているのと似たようなものかもしれない。そういえば、その信金女性職員は南商出身者一番多い。話が横道に逸れてしまった。

 入学してブランスバンド部に入ったばかりの右も左も分からない私に、トランペッターが声をかけてきた。それが徹と私の始まりだった。

 当時から徹は、女のコに手が早いことで定評があった。そういう意味では、南商の男子生徒としては例外になるのだろう。私と付き合う以前には、同学年のクラリネットと仲良くしていたみたい。お陰で、私は部活の先輩たちにも人一倍、気を遣わなければならなかった。

 それだけではなくて、徹は帯広で一番西の普通科高校のコの何人かともルンルンしてるっていうウワサもあった。

 けれども徹は「佐知子が一番好きだよ」としか言わなかったから、不安に思いながらも彼から離れることができなかった。

 古い例えで申し訳ないのだけれど、火野正平みたいなのだ、徹は。火野正平はとてもハンサムとはいえないのに、次から次へと女優と浮名を流してしまう。徹もそんな感じなのだ。

 南商を卒業してからも、徹は環境が違うだけで同じことだった。それに彼は定職につかない。基本的には飲食関係なのだけど、同じ職場に6ヶ月と保たない。

「色々見て歩くのは、勉強になるんだ」と本人は言っている。でも本当は単に飽きっぽいだけだということに私は気付いていた。

 黄色のボディに青ストライプのバスに乗って、街に出る。私が建築会社に就職してから、徹と飲みに出る時には、たいてい、この時間のこのバス。もう、彼に会うために乗ることはないんだな。そう思ったら、目尻がちょっと滲んだ。

待ち合わせたのは銀座はが野。徹が「一度、喰ってみたいな」と言っていたので選んだのだけど、私は加藤さんに連れて来てもらったことがあったから2度目。

 徹はちゃんと時間通りにやって来た。珍しい。2人並んでカウンターに座って、しゃぶしゃぶのコースを食べた。今日は私がご馳走するものだから、彼は「いや、旨い。毎日がバレンタインデーだったらいいねぇ」などと言っている。

「もし、今のところがクビにならなきゃ、ホワイトデーは期待していいよ」と調子の良いことも言った。どうせ、私から連絡つけなければ、ホワイトデーのお返しなんかないのに。

 2人の関係はいつも、そう。私の思いの一方通行。徹は投げ返すでもなく、身をカワすでもなく、ただ吸収し続けていた。いつかは返ってくるって、信じていたのだけれども。

 佐知子はね、もう疲れてしまったの。別に徹がフリーターだとか、浮気っぽいとか、そんなことは我慢できる。ただ、愛されているっていう実感が欲しかった。それだけ。

 もし加藤さんが現れなかったら、徹と別れようなんて思わなかった。でも、愛される悦びを知ってしまったら、もうだめ。徹のことはまだ好きだけれど、もう佐知子の気持ちは加藤さんに傾いてしまったの。だから、さよなら、します。


 結局、徹には何も言わないことにした。普段と変わらない話をして、3軒目の店セ・フィンを出た。エレベーターを使わず、階段で降りる。私から口唇を求めた。徹とは最後のキス。好きだったのよ、という気持ちだけは伝えたかった。彼は当惑げな顔をしている。

 いつもは2人で乗るハイヤーに、今日は独りで乗らなきゃならないんだ、そう思ったら、また滲んだ。

(了)



<< 周辺情報 >>

 北高:私立帯広北高等学校。かつて、帯広柏葉高校近く東4条南2丁目近辺に存在したので、「北」高。今はおもいっきり、帯広の南部にある。「三柏」のスベリ止め、としての面影も失われてしまったのは、経営陣の混乱のせいだろう。正統派セーラー服がカワイらしかったが、今はどうなのか。

 ロアジール:ここで登場するロアジールは現在地(西10南26)ではなく、創業の地(西1南11)でもなく、トリコロールハイツ(西5南9)時代である。ちなみにワタシ、創業時代の場所しかいったことはない。しっかりとしたフレンチを出していた印象があるのだけれど、現在地では洋食屋に変貌しているようだ。

 ボジョレー:言わずと知れたボジョレー・ヌーボー。この当時ですかね、やたらもてはやされ始めたのは。航空便でクルのと船便のとで価格が全然違うという。解禁日に呑む、ということだけに価値がある妙なワイン。

cask:ボジョレーヌーボーに物申す

 南商:北海道帯広南商業高等学校。現在は偉大なる空き地となっている西17条南5丁目にあった。創立直後の帯広緑陽高等学校が同一敷地内に存在したことがある。管内唯一の商業科。基本的に真面目なコが多いとの印象。男のコは気弱な感じのが多かったハズ。絶対数では圧倒的に少ないのだけれど。

 ルンルン:林真理子のエッセイ「ルンルンを買っておうちに帰ろう」で、当時すっかりメジャーな言葉となった。しかし、当時の林真理子は酷いルックスでしたから、「ルンルン」などという言葉とは無縁だったはず。あれ、犯罪だと思いましたね、ワタシ。

 火野正平:芸能人プレイボーイの元祖といわれる。決してハンサムではないのに、大したもの。「母性本能」をくすぐり、かつ「後腐れなく」別れる、という理想的な存在か。ワタシの憧れ。

ウィキペディア:火野正平

 黄色のボディに青ストライプのバス:広告がディスプレイされるなど考えられなかった当時の十勝バス。拓殖バスは赤地に白のストライプがイメージだった。勝バスを札幌あたりでみると、その色彩の異様さが眼をひくという。ちなみに勝バスと拓バスは経営陣同士が大変仲悪いらしい。そのせいで、路線の効率化がまとまらないというウワサも。

 銀座はが野:西1南10アポロビル1階に現在もある。帯広の鉄板焼きステーキの元祖だと思う。ここもワタシ一回も足踏み入れたことがない。どうしてかしらね。さっきまで「はがの」とオモコしてまして、本文も直しました。

帯広・銀座はが野

 セ・フィン:西1条南10丁目ライオンビルフクハラ館にあった。葡萄屋の宇佐美氏が経営していたバー。カウンターと一体化していたピアノが特徴。マスターの二口氏がハンサムで有名でしたね。何度か酔っ払って寝てしまった記憶が。


コメント(12件)

02-11 22:37
いくぽん @plala.or.jp
こういう文章は市川さんの独壇場でしょう。
同じように文章を書くことを趣味とし、
童謡の公募に作品を出す私は、いつもしっかり
読ませていただいております。

男性だからでしょうか、この淡々と語りかけるような
文体・・・。技術だろうなぁ・・・。

02-11 23:31
MARI @dion.ne.jp
18年前・・・、1989年ですね。
この文章の中に出てくる場所が、
自分の過去の思い出と重なって、懐かしい気分で
読ませて頂きました。

付き合っていたとしても、こういう別れ方を
選ぶ女性の気持ちを理解できます。
せつないけれども、現実につかもうとする幸せは
こんな形になるのかもしれないですね。

最後の余韻を頂いて、その続きは読者の愉しみですね。
次回作(供養作ですか?)も心待ちにしています。

02-12 00:44
月水
お昼休みに読ませていただきました
出てくる背景が身近で創造しやすかったぁ

>私から口唇を求めた。徹とは最後のキス。好きだったのよ、という気持ちだけは伝えたかった。

たまりませんな~
なんか若い頃の恋を思い出しましたよぉ

02-12 02:45
cask
古い!ww
国生さゆりですか。

悪く言えば、佐知子ったら二股掛けた訳ですね。

モテモテの私の場合、二股掛けられて、それを知っててもあえて知らん振り。だって、彼女が沢山居すぎてちょうど切ろうと思ってたんで都合が良かった!と言ってみたい←願望ww

02-12 04:19
いくぽん @plala.or.jp
ごめんなさい、「同様」です。
変換ミスヾ(・ω・o) ォィォィ

02-12 06:48
市川 秀一
>いくぽんさま
 この文体。早いハナシが田中康夫氏の十勝版をやりたかったワケですよ。女性一人称で当時何回か書きました。

 ワタシが書き残さずして、誰がやる? という気概ではあったのですが、まぁ、この程度。今回アップするにあたって、細かいところを何箇所かイヂリましたが、全体像はカワラズ。

 但し、残念ながら最後の2行の部分は原稿が欠落しておりましたので、萬造が付記した次第。恐らく、当時のワタシも同じような結びにしたのでは、と。

 全然成長できてない、ってことですかな。

 アンソロの入賞率では、いくぽんさま始め、常連諸氏には適いません。ワタシが書きたいものを書いて、なおかつ「先生方」も納得させることができれば、よろしいんですが。

 自分でツマンないものは、書けません。

 それが、ワタシの限界です。

>MARIさま
 本記事は手書き原稿を読み進めながら、それを転記する作業。過去の自分に再会する作業も並行したワケです。

 映画「バブルへGO!」に注目しております。なんせ、ホイチョイ映画の処女作「私をスキーに連れてって」はフェイバリットでして、年に一回は眺めてワラうという。

「きまぐれコンセプト・クロニクル」も発注してしまいました。

(続く)

02-12 07:03
市川 秀一
>MARIさま
 (続き)
 佐知子の選択は世間的にはただの「現実的な」選択に過ぎないかもしれないけれど、実は「愛にいきる女」の選択なんだよ、というお話でした。

 誤解をさせてしまいましたが、「あの人」の供養作は「マイとかち私論」とでもいうべき内容です。創作は、またの機会に。

>月水せんせえ
 身近な題材、ビョーキな思考、がワタシの原点でございますぅ。

 口唇、をクチビルにするか、くちびるにするか、そんな部分でも考えるワケですよ。大体において、くちびる、で変換かけても口唇、は出てこない。

 賢夫人、ワタシが創作に女性を出すの嫌っております。「あたしがモデルだって、思われるでしょうっ!!(怒)」でございましてね。

 撮影だけではなく、色々制限はございますよ。

 このキスというやつには、女も男も翻弄されるものですねぇ。

>caskさま
 貴殿の願望は「鬼畜」でございますか。あはは。

 国生さゆりのこの曲は、見事定番になってますよね。再録音されたようですが、聞きたくありませんな。イメージ崩れるから。

 すっきりとした顔立ち、そのままの性格とされていますが、そういったママさんがいるスナックがあれば、通ってみたいものです。

02-12 08:45
おさるのかぐや彩優木
昭和40年代生まれの人達に見事JUST FITな内容ですね(笑)
見事にあの当時の「色」が浮かんでくる作品。

この作品にはシンクロしないけど、自分の「恋愛至上主義」時代を少し思い出しちゃいましたww

02-12 09:12
市川 秀一
>おさるのかぐや彩優木さま
 しかも当時、十勝・帯広に在住していないとオモシロさが半減するという作品。

「恋愛至上主義」、キタ~~~~~っ!!!!、でございますね。「恋愛体質」とか。今たまたま探したら、コンナのございました。「恋愛至上主義を撲滅せよ」

http://eiji.txt-nifty.com/diary/2005/12/post_6e64.html

 ワタシがかつてした、コメントと類似するものがございますな。

http://www.mytokachi.jp/mt.php?id=maikyon&blog_code=68#comment31

 ちなみに彩優木さまは、どのくらいの期間ハマっていらっしゃいましたか。

02-12 10:10
おさるのかぐや彩優木
どのくらいの期間かぁ?

んー、いまでも!とは言いませんよ(笑)

強いて言えば5、6年かしら?
長さよりもいろんな経験だけは重ねた気がします。

02-12 11:01
市川 秀一
>おさるのかぐや彩優木さま
 真面目にご返答いただき恐縮でございますよ。

 なんだかワカラないけど、基本的にその相手のことだけ考えていれば、幸せ、という時期はございましたね、ワタシも。

 これまぁ、見解の相違かも知れませんけど、5、6年というのは短くありません?どうかすると、中学生時代から始まって、30過ぎても、となれば15年は軽く越えてしまうのでは、と。

 一般的に10年はあるんじゃないかな。飛び飛びの状態があったとしても。ワタシの場合はさて、何年か。

 今現在も恋愛至上主義だなんてカキコしたら、「現行不一致ぢゃないのよっ!!!(怒)」と賢夫人に叫ばれてしまいますが。

 う~ん、恋愛が意識の中で最も重要な時期というのは、う~ん、やっぱり10年は越えますね。

 でも、もし生活全てが恋愛至上であった、という時期は、う~ん、ないかもしれないですね。残念ながら、そこまでの自信はない。

 しかも、経験なんてものは皆無といっていい。頭の中で組み立てた恋愛で疲れてしまったせいでしょうか。

 やはり、彩優木さまにはカナイませぬ。

03-03 06:18
端野 萬造
 これから更新かけます。どこまで、やれますかね。
  
Posted by きむらまどか at 07:44Comments(0)創作・失われた街角

2012年03月05日

プレ氷まつり企画/ブレーメン(欧州家庭料理店)’86

2007年1月25日(木) 08:00 ▼コメント:12件

 昨日は多くのアクセス頂戴しまして、ありがとうございました。実は連日のアップで相当消耗しておりまして、昨晩は呑みに出る機会があったにも関わらず、帰宅し、歯も磨かずに床についた次第。

 今日は小休止。画像もございません。だって、みつかんなかったんだもん。

 氷まつりの開催が明後日に近づきました。2日間に渡って花火大会も開催されますね。デートにご利用されるカップルもいらっしゃるでしょう。そんなお二人にもドーゾの「失われた街角_7」でございます。

 「ブレーメン」は現在「居酒屋ぶれーめん」(西11南12)で、そのソースや味付けの片鱗を知ることができます。カレーもあったのかな。だとすれば、絶品ではなかろうかと。

 帯広市西8条南15丁目(現たんた家)に店舗建物が残っている「ブレーメン」。佳いお店でございましたよ。日替わりランチのレベルも高くって。お値段、決して安くはなかったですけど。値打ちはございましたね。

 帯広の洋食文化の一翼を担っておりました。現在では珍しくなくなった、郊外型レストランの嚆矢といえましょう。ほぉんと、ブレーメンの海の幸、山の幸カレー、食べたいなぁ。







 昭和61年1月31日(金)天候 晴れ

 ゼミの発表は上手くいったと思う。お題は「アグリビジネス」。早い話が農業を経済的社会的に捉えようとするならば、農家に視点を置くのでは不充分であって、支援分野の農機具や肥料・飼料、加工分野の食品製造等のメーカーや商社も含めて考えなきゃならない、ってことだ。そうすると農業というのは、ホント、巨大な産業であることを実感する。

 自動車なんかとは比べものにならないくらいの歴史を持って、人類に貢献してきたってことにもなる。ま、そうなってくると全然ボクなんかの歯では噛み砕けないのかも知れないな。

 来年の今頃は、ボクラが卒論で苦しむ時期だ。先輩達も助手の先生に突っ込まれていたものなあ。準備不足が明白だったから。でも、アルバイトも遊びも大切だし、帯広で過ごす時間も後わずかとなれば、尚更か。

 夕方五時半に美紗緒を迎えに行く。デート前の洗車は、省略。時間が無かった。ゼミ後なんだから仕様がない。学生だって、忙しいときもある。

 美紗緒は、プレリュードに乗り込むなり、なんかグチグチ言ってる。だんだん遠慮がなくなってくるのが実感できて嬉しい。学生と社会人の組み合わせって、噛み合わないこともあるけれど。

 会社に入れば、やっぱ色々あるよな。来年の今頃にはもう就職も決まっているはずなんだけど。

 なんとか駐車場も見つけられて、花火大会には余裕で間に合う。この道が滑る時期なのに、美紗緒はローファーなんて履いてた。長靴にしろとは思わないけれど。ボクはコールハンのサドルシューズ。ウレタンソールだから、雪道もヘーキ。

 氷まつりに花火大会ってのはイケテルけど、やっぱ寒い。ローファーに気付いた時点で、会場を巡るのは諦める。フィナーレまで見てから、食事することにした。

 喫茶店みたいなとこが、美紗緒はお好みのようだけれども、ボクは駄目だ。食事は専門の店舗じゃないと満足できない。昼飯くらいなら妥協できるけれど。

 久し振りの『ブレーメン』にする。といっても、夕食は、といった意味。先月は美雪とカレーでランチしたばかりだ。美雪は「海の幸」、ボクは「山の幸」。インデアンの三倍近い価格だけれど、それだけの値はある。

 金曜の夜だけあって、席は八割方埋まっていた。丁度、窓際の席が空いたので、そこにする。「本日のディナー」をオーダーしてから、プレゼントを渡した。「草迷宮・草空間」のハードカバーを信正堂で見つけて、二冊買っておいたもの。

 表紙は綺麗だし、絵柄は緻密で繊細だから、女の子好みだとはいえるけど、内容は気に入ってもらえるか、どうか。美紗緒のこと、まだわからない。ぱらぱらとページを捲って、「素敵な絵柄…、初めてみた」と言ってはいたけれど。

 南瓜のポタージュスープは、まずまず。千切り大根のサラダは可も無く不可も無く。メインはホタテとエビ。火の通し具合が絶妙。素材が新鮮だっていうのがわかった。チーズのムースは一口だけ食べて、美紗緒にあげた。
「美味しくない?」意外そうな顔をする。
「違う。君があんまり美味しそうに食べるから」ホントにいい表情をしてた。コーヒーは可も無し、不可も無し。

『ブレーメン』のいいところは店の持つ佇まいと味と価格のバランスだと思う。土壁の民家を改装した店内の天井はとても高くて、開放感がある。フレンチに寄ってはいるけれど、欧州はフレンチだけじゃない。コンセプトが家庭料理だから、暖かみがある。

「わたしばっかり、あなたのことが好きになるの。どんどん好きになるの。なのに、あなたは美雪のことが好きなの。不公平だわ」

 ボクは言葉を失った。
 アルバイト先で事務をしている美雪が今でも気になっているのは確かだ。誕生日に薔薇の花束を贈ったこともある。でもそれは、三ヶ月前のこと。美雪の紹介で美紗緒と知り合って、二人きりのデートに誘ったのはボクだ。自宅の電話番号は美雪から教えてもらったぐらいだし。

 美雪に一度はフラれてしまったのは確かで。その苦しささから、美紗緒に声を掛けたというが本心だ。だからといって、美紗緒のこと傷つけても平気、なわけじゃない。もう、大切な関係。なのに今でも、美雪を誘ってランチしたりするボク。美雪も美紗緒のこと知っているのに。
 ドライブしながら、進退極まってしまった。

                 (了)


コメント(12件)

01-25 10:20
高橋道場後援会
ものすごいアクセス数にビックリしました!
(記事内容と関係ないことですみません。)

01-25 18:38
市川 秀一
>高橋道場後援会さま
 記事の魅力というよりも、リンクしていただいたcaskさま、むし虫堂さまのお陰でございますね。

 それにしても、全然反応がないってのは、どうしたことだ。ブレーメン、ご記憶の方いらっしゃいませんかぁ~。

01-25 21:52
いくぽん @plala.or.jp
高橋さま、ご無沙汰してます。
ブレーメン、私は旧店舗の時に何度か行きました。
ソースが絶妙だったのを覚えております。

01-25 22:35
市川 秀一
>いくぽんさま
 良かった。ワタシの記憶違いかとオモコするほど、反応が御座いませんでしたので。いい店でしたよねぇ。

01-26 03:08
VW @dion.ne.jp
海の幸、山の幸。確かに記憶の片隅にありやす。
でも誰と行ったんだろう。
そこのあなたとかしら?

01-26 07:06
端野萬造 @nifty.com
>VWさま
 市川氏は「あれ、そうだったかなぁ」と言いながら、日記帳を手繰っております。なんせ20年近く以前のことゆえ。

 20年。もう二昔も前のことでございますね。考えてみれば、あなたさまと市川氏のつきあいは、あなたの人生の半分以上の期間になってしまっているのですねぇ。空白のほうが多いと聞き及んでおりますが。

 市川氏によると、あなたの基本的イメージは、十代で留まってしまっているということでございますよ。

 あ、見つかったそうでございます。次はアタシがステーキ奢るって、言ってたそうでございますよ。お約束はどうされますか。

01-26 13:16
cask
時代を感じさせるお言葉が多々ありますな。
よく見ればその言葉は、全部赤文字になってました

これは、またもや現実と被ったお話なんでしょうか、非常に興味津々でございます(・∀・)ニヤニヤ

ブレーメンの旧店舗、なかなか決まった店にはなりませんね(;´∀`)入れ代わりが今までも結構あった気が・・・

01-26 18:43
市川 秀一
>caskさま
 しっかし、倒れそうなくらい反応がない。ホンット、ご存知ないのね、皆さん。たかが20年でこれだけ風化してしまうって、ことなんですよ。

 だからさ、ワタシ、一生懸命馬鹿みたいに古い店のこと、アップしたり名前出したりするのよ。なかったことにされてしまうのって、なんか耐えられなくて。

 ワタシの行動自体も同様の動機。ネットで動いていないと、いない人と同じになってしまいそうで。危険な思想ですけど、危険な世の中であることも間違いないのぢゃないかと。

01-27 00:04
VW @dion.ne.jp
そうですか、あたしのイメージは十代のままですか。
あたしの市川さんのイメージも二十代前半でストップしつつありましたが、某新聞紙上などで拝見しているので、昔と現在のイメージがオーバーラップしてしまいます。

改めて読み返しましたが、そうそうプレリュード。懐かしゅうございます。

お約束はステーキからモツ煮あたりに変更はできませぬか?

…と、端野さまよりお伝えくださいませ。

01-27 00:19
市川 秀一
>VWさま
 萬造から聞きました。モツ煮、とってもいいですねぇ。どこのどこの?

 あの紅い初代プレリュードくんは大学時代の友人に譲ったあと、見事廃車。気の毒なことをしました。あなたを隣に乗せた一発免停は、未だ唯一の勲章でございますよ。

 未舗装の三国峠ではスピンしそうになるし。

01-27 00:28
VW @dion.ne.jp
きゃははは。
伏せていたのに自分で暴露しちゃうんだから、市川さんったら。
若気の至りってやつ?

モツ煮といやぁ梁さんかなぁ。
でも、蔵粋さんの鍋もよさそだなぁ。

01-27 00:39
市川 秀一
>VWさま
 切符切られた時はワタシ未成年だったのですよ。ところがさ、裁判所に呼ばれた時は20歳だったものだから、しっかり罰金納めましたね。

 まぁ、親呼ばれて説諭受けるよりは良かったけれど。

 梁さんはモツ焼きのイメージが強いのだけど、どっちでもいいや。蔵粋は来月行って、鍋を試す予定。またレポートしますわん。

 ああ、酔っ払った。昨晩PASTAに行ったのよ。どこかにコメント振ってまっせ。
  
Posted by きむらまどか at 06:20Comments(2)創作・失われた街角

2012年02月17日

’89『BAR SEED(バー・シード)』/バーボン・ソーダな夜

2007年1月8日(月) 00:00 ▼コメント:22件

 さ、久し振りの記事なのに地味に始めてしまいました。マズった?

 ココでご紹介しているのは、SEEDの第2期。全盛時の頃でしょうね。長原ビルを第1期、広小路地下を第3期、どんがばちょの上を最終期とすれば、ワタシは2と4に付き合ったことになる。

 第2期は平和園本店の横で営業してました。G氏のモデルは大和写真館さんの専務さんだったかな。正確には記憶しておりませんが、いっつもカウンターに座ってました。

 現在アイリッシュ・パブになってしまったロマンティッシュ・ストラッセ(ロマン街道)ですとか、山口薬局の地下にあったDUST BOX(ダストボックス)だとか。ご記憶の方いらっしゃいませんかねぇ。ダストボックスはKAZZ(カズ)という名前で健在だけど。大平さん、ご無沙汰してますぅ。






 街はクリスマス前の喧騒に包まれていた。ボクは強張った表情をどうすることもできなかった。
(もう、恋なんかしない)
 『SEED』の扉を開いた……。

 その男はいつも『SEED』にいる。
 オーナーだとかマネージャーとしてではない。あくまで、客としての存在だ。

 初めて見た時から、その佇まいにボクは圧倒されている。十も歳上の彼に軽い嫉妬を感じ、あこがれた。ノーネクタイだが、シックな装いが彼を表現している。それが信条であるかのように、黒系統の服ばかりだった。

 密かに彼のことを『G氏』と呼ぶことにした。芸術家のGだ。名付けた後に知ったことであるのだけれど、G氏は地元大手写真館を共同経営するカメラマンであって、結婚写真や記念写真を撮っているらしい。

 G氏の棲家『SEED』は、元々ナガハラビル三階にあった。秋に平和園本店の並びに移転したばかりだ。
 マスターとバーテンダーの白いドレスシャツとブラック・タイは変わらなかった。美味いカクテルとバーボンも変わらなかった。





 カウンターが長く立派になったことと、昼に店を開けることにしたのが変化らしい変化だった。昼間の営業はいつまで続くかわからないけれど。

 いや、もうひとつ。店に漂う空気が微かに変わった。客が増えはじめていて、静けさが失われてしまった。隠れ家の良さが消えてしまいつつある。

 初めての時は、職場のお姉さんをひとり連れていった。店に入ってすぐ、ここは一人で訪れるべき場所だと気付いた。それからは誰も連れてきたことはない。

 やがて、ボクはG氏と言葉を交わすようになっていた。それだけ、ボクが『SEED』に通ったということだろう。

 今日は、酷い日。好ましく思っていた女性をあきらめる出来事が起こってしまった。家にすぐ帰る気になれなくて、その足で『SEED』に向かったわけだ。

 フォアローゼス・ソーダをオーダーする。こんな夜は、ビールの気分じゃない。すぐに飲み干して、同じモノを注文した。マスターがニヤニヤしながら言う。

「どうしたんです。クリスマスも近いのに。荒れてますね」
「なーにがクリスマスだよ。関係ないね。もう女のコとデートするのやめるわ」
「本気でいってるんですか」
「本気も本気。今度女のコと付き合うのは結婚するときですから」
「また、また」





 マスターは全然取り合わない。G氏も、遣り取りに気付いたせいだろう、閉じた口の端が上がっていた。G氏に話しかけた。

「フラレちゃったんですよ」
「それはご愁傷様。何回目?」
「きついこと、おっしゃいますねえ。……、四回目ですかね」
「それは、まだまだ修行が足りない」
「でも、もういいや。女のコとデートするの止めます。右、宣誓しますよ」

 右の掌をG氏にかざした。結構本気。痛手を被り過ぎていた。目尻ににじむものが、あった。
 G氏はいつものグレン・モーランジを一口呑み下してから言った。

「Dandelions SEED themselves.(タンポポは自分で自分の種子を播く)」
「何ですか、それ」
 耳が隠れるくらいの髪を両手で掻きあげながら、ボクを横目でチラッと見る。

「タンポポはさ、誰かに種播いてもらうこと、はなっから、期待してないんだ」
「……」
「だからさ、タンポポはあんなに増える。たくましいんだ」
「ボク、根性無しだから、タンポポにはなれないや」
 G氏は静かに笑っていた。ボクは酔い潰れた。

 翌月の八日、昭和は平成に改元された。神様が代わったんだから、約束を反故にしたって、罰されはしないだろう。

「ねぇ。好い店見つけたんだけど、行かない?」

                 (了)



コメント(22件)

01-08 00:10
月水(ツキミ)
面白かった^-^
お話の情景が目に浮かびます

01-08 06:39
市川 秀一
>月水(ツキミ)さま
 早速のお越しありがとうございます。ワタシ、この店には特に思い入れがあるんですよね。ところが検索しても、全然出てこない。

 最近ですと、検索エンジンに引っ掛からないと存在自体が無いも同然ぢゃないですか。それってあんまりだと思うんです。

 でね、なんでもいいからアゲちゃおうと考え始めてます。

 これ、結構オモシロいですよ。皆さんも是非ご覧になってくださいませ。

http://ww6.et.tiki.ne.jp/~obsinren/kasseika/welcome.htm


01-08 07:23
おさるのかぐや彩優木
BAR SEED、懐かしいです。
青春だなぁ。
確か美形の兄弟がやっていた頃?

店の雰囲気を思い出しながら、お話楽しみました。
ボクの次なる恋は成就できたのかな?

01-08 07:40
市川 秀一
>おさるのかぐや彩優木さま
 ああ、思い出を共有できる方の存在って、嬉しいですね。でも、美形の兄弟ですかぁ。それは知らなかったなぁ。

 ワタシの印象でいうと、オーナーは美形というより酔系なんですが。従業員さんがそうだったのかも知れませんね。

 ボクの次なる恋は、どうなったんでせうね。

 この話には実は前段がございます。ワタシのコミュニティ・アイでのデビュー作がそれ。今確かめてみると題名さえついてなかった。

 登場キーワードをご紹介しましょう。イヴの晩、土曜、カーリング、受話器、MR-2、ライオン・ハウス、銀座すえひろ、帯広の森アイスアリーナ、ガールズフロムゴエモン「ナイス」、ピンクのカーディガン、ラッピング、デジタル時計、3回会って何も無いなら、ラグビーのロスタイム、チェイサー、バーシード、東急インで結婚式。

 受話器、ってのが時代、でございますねぇ。

01-08 09:08
おさるのかぐや彩優木
言われてみればオーナーではなく従業員だったかも?

キーワード、ツボにはまりまくりです。
受話器、MR-2、、帯広の森アイスアリーナ、ガールズフロムゴエモン「ナイス」、ピンクのカーディガン、ラッピング、ラグビーのロスタイム、チェイサー、バーシード、東急インで結婚式。

私も東急インで結婚式をあげたクチですので(笑)

機会があれば、そちらもUP楽しみにしていますね♪

01-08 09:32
市川 秀一
>おさるのかぐや彩優木さま
 手書き時代の作品で、打ち込みしなきゃならないし、酷い内容なんですよ。ですから、アップはちょっと。とりあえず、そちらの最後はこうです。

 数日後、ピンクのカーディガンを康夫は別の女のコに渡してしまった。翌年の秋、そのコと康夫は東急インで結婚式を挙げることになる。



 携帯電話とメールの進化が、実に我々から情緒を奪ってしまった、といえましょう。家族を気にしながら、夜中に何時間も重い受話器で語り合った頃が懐かしい。

 ワタシは寿御苑で、式をあげました。あの当時マネージャーだった方が現在社長さんですね。

01-08 18:50
cask
懐かしい!
今、マスターは全く違う職種されてますね。

登場人物のG氏、この時代にモーレンジを飲むのが乙ですなww

01-08 19:09
市川 秀一
>caskさま
 2年前かな、M氏の仕事中にお遭いして、お互いびっくりしたことがありました。そのとき名刺いただいたんですが、連絡とってない。

 まだ、あの時のお仕事のままなんだろうか。復帰はないのかしらね。

 第4期の頃はモーランジを在庫してとは思います。でも、第2期ではど~だったでしょう。厳しいトコに突っ込まれましたね。さすが、caskさま。

01-09 02:41
VW @dion.ne.jp
いやはや、懐かしいですね。お店もM氏も。
あたしは1,2,4を知っていることになるかな。
若かりしオナゴはオムレツを酒の肴にカクテルを呑んでいたものです。当時、トロトロのオムレツなんて滅多にお目にかかれるものではなく、お酒よりもそっちの方が強烈に印象に残っています。

01-09 05:34
市川 秀一
>VWさま
 トロトロオムレツでございますか。それを肴にカクテル。今は厚焼き玉子に熱燗となってしまっているご様子。となれば、蔵粋に行くしかないでしょう。ひびき屋でもやれるかもしれません

 1の頃って、貴女未成年でございましょ。不良少女生活も長くなりましたねぇ。

01-09 05:39
cask
モーレンジはシェリーがかったお味に、釘付けなお方達が競って飲んだであろう。
今でこそモーレンジより美味しい酒は多々ありますがね。

本日は泥酔のためこの辺で

01-09 07:06
市川 秀一
>caskさま
 この時間に泥酔でございますか。それは大変。まさしく、休肝日を設けなければ。太く短くも良いですが、細く長くをお勧めしたいな。

01-10 05:44
cask
申し訳ありませぬ、飲まないと一日が終われない気がしまして・・・
今もプレミアムモルツを飲んでおります(;・∀・)

我が儘なのか、酒はやめられない。市川様のダイエットカウンター笑っちゃいました!

市川様らしくない気がするのは私だけでせうか?

01-10 07:04
市川 秀一
>caskさま
 申し訳ありませんなどと、そんな。貴殿と長く付き合いたいからですよ。

 ダイエットカウンター、意外ですか? ワタシ、体重と体脂肪の記録をとり始めてから、もう8年を経過しておりますよ。

 最近は体組成計を頂きましたので、もっと詳しい数値も。筋肉量とか、基礎代謝量とか、骨量、体内脂肪まで。ちなみに内臓年齢は30代前半で表示されます。時折26歳なんてのも。

 一昨日と昨日は休肝日と致しました。

 あんだけ、喰ったり、呑んだりも体調維持があったればこそでございます。

01-10 15:33
OZ
私が知っているのは最終期です、
Mさんには仕事でもお世話になりましたが
現在のお仕事でも、ご指名が多いと聞いてます。
いつか必ず復帰されるでしょう。

話は変わりますが、先日梁さんへ行きました。
味はバッグンなんですが、
なかなか大変なようで頑張ってほしいですね!

01-10 15:56
市川 秀一
>OZさま
 そうですか。Mさんの捲土重来を待ちましょう。

 梁さんね。アイデアは授けてあるので、そのうち何かやるでしょう。勝負はその時かと。まだ若いですから、無理もきくでしょうし。

01-11 00:27
cask
市川様、私にもアイデアを!!

01-11 06:06
市川 秀一
>caskさま
 そうですね。まずはカウンターに置いてある○ン○ムプラモを撤去されるのはいかがでしょうか。アハハ。

01-11 14:56
cask
あれ、女性には評判悪いんですww

早速撤去しますww
これで売上2割増し?

01-11 18:38
市川 秀一
>caskさま
 禁止されたので遣いづらいのですが、○○人の友人が、ソチラに行かれているそうです。「遅くまでやってるのは、イイんだけどさぁ。あのプラモには、ヒイちゃうんだよねぇ」と。

 売上2分増程度でしょうか。やらないよりは、マシか。若しくは、逆にオタクの店に特化してしまうか。ははは。女性客はドン引きでしょうけど。

01-11 23:46
cask
『ガンダムの店』←無理ですな。都会なら需要がある気もしますが・・・

早速ガンダム撤去しました(;´∀`)
○○人は、あのお方でしょうか・・・

01-12 06:20
市川 秀一
>caskさま
 最初、「帯広 SEED」で検索かけるとよくわかんない系やガンダム系がばかりだったのですが、お陰さまで、ワタシのが表示されるように。

 Yahoo!は未だのようだけれど。

 ○○人は、そのお方です。済みませんねぇ。そのうち、間違いなくお伺いするかと。最初は名乗らないで様子をみるつもりのようです。

 普通にされていれば、問題ないでしょう。
  
Posted by きむらまどか at 06:44Comments(5)創作・失われた街角

2012年02月03日

’88『ヒステリック・クラブ』/小さな箱に記憶はあるか

2006年11月30日(木) 00:03 ▼コメント:20件

さぁ、行け。50,000アクセス達成に向けて。

  ↑、15記事、22日間で1万アク上乗せするって、マイとかちでは結構大変なことなんですけどねぇ。誰も褒めてくれないや。ショーがないから自分で言おう。”読者の皆様のお陰でございます。今後ともご贔屓に”

2006年11月9日(木) 07:57

 HYSTERIC CLUB(ヒステリック・クラブ)は、帯広市西2条南11丁目にございましたね。結局最後火事になっちゃいまして、現在は駐車場になってしまってるはず。

 今考えると、いわゆるクラヴ系のハシリなんじゃないかと。小さいハコをワタシ結構気に入ってました。なんだかんだいっても、一番数多く行ったはず。できたばかりはマハラジャ(昔KMビル、現さくら館ビルにあった)といったラジャマハールから、移動して踊ったこともあったね、確か。

 さくら館ビルって、桜館(サクラハウス)と関係あるのかしらねぇ。桜館、記憶ある方いらしゃいますかぁ。2階で4つ玉(ビリヤード)できましたね。






 三名の「お姉さま」を引率して、ヒステリック・クラブに突入した。大きなドアを押し開いて、ヒステリー患者の仲間入りをしようというのだ。





 メガネザルに似た短髪の娘がキャッシャーの横に立っている。黒い蝶ネクタイに白いシャツ。どこを見ているのか判然としない視線で、「いらっしゃいませー」とご挨拶。

 「混んでる?」と訊くと、「それほど」と言いながら、差し出した漱石(千円札)を数えている。こいつはいつもこうだ。素っ気無い。それがかっこいいと、信じているのだろう。

 チケットを受け取って、フロアに入る。スシバーとディスコの共存という割には狭い空間。混沌と凝縮という表現が妥当だ。





 ヒステリック・クラブにはソファーが無い。でもなんとか「お姉さま」が落ち着けそうな、テーブルは見つかった。曜日が土曜に変わるまで、あと三時間もあるせいだろう。患者が騒ぎ出すにはまだ、間がある。

 金曜日。明日は仕事が休みの土曜日。毎月二週と三週の土曜が休日だなんて、面倒だ。早く完全週休二日になればいい。

 ボクがディスコに足を運ぶようになったのは、就職してからだ。学生時代。ディスコには全く縁がなかった。なのに、今はいっぱしの顔だ。
 別に踊りたくもないし、ナンパしたくなったわけでもない。新入職員で、右も左も、社会のイロハすらも分からない男だ。誰を頼りにするかといえば、先輩たちだ。女性が多い職場となれば、お姉さんたちを喜ばせることが必要不可欠だろう。ディスコはいうなれば、接待の場所。

 そう。就職すれば、接待は常につきまとう。顧客を好い気持ちにすることは、言うに及ばない。職場の同僚を接待することだって、必要なことだ。

 テーブルへの御案内から、「お姉さま」のお好みに合わせたオーダーまで済ませる。まだ、「仕事」は終わらない。ボクの分を犠牲にしても、「お姉さま」分のオーダーを先にしてもらって、取りあえず乾杯。彼女らが踊りにフロアに出ていったのを確認してから、一息つく。ビールとトマトジュースのハーフ&ハーフ「レッドアイ」を口に含んで、見るともなしに、フロアに目をやった。

 踊る患者たちのあい間から、ワンレングス・ソバージュの女のコがカウンターに腰掛けているのが見えた。二十歳くらいだろうか。一人で座っている。連れはいない。ボクはレッドアイを飲み干して、カノジョに声をかけることにした。

「おひとりですか」
「いえ。待ち合わせなんです」
「男性ですよね」

 曖昧な笑みを浮かべる。肯定したってことだろう。

「こちらにはよくお見えになるんですか」
「今日がはじめてなんです」
「ここのお薦めは、エビマヨ巻きなんだけど」
「……エビマヨって、ロボちゃん寿司の?」
「ハハ。そう。でも、ここのはちょっと違う。寿司職人がちゃんと握るんだから」

 オーナー兼板前は足寄「江戸っ子鮨」の息子。お茶目な髭面でも、ちゃんとした仕事はする。ボクは勝負を賭けた。

「もっとお薦めネタがあるんだ。…こちらのお嬢さんに、とびっきりのを」

 オーナーは無言で握り始める。心なしか、口元が緩んでいる。鼻の穴が膨らんでいるようにも見えた。
 そっと、彼女の前に鮨が置かれた。パールピンクに輝いてみえるネタ。小振りなシャリに特にマッチしてる。





「ボクのおごり。とりあえず、食べてみて」
「……美味しい。何ていう魚なんですか」
「一番好きな人とする挨拶って、何だろう」
「……ふふふ、えーと、キス(鱚)」
「そう、それが正解。じゃあ、また」

 カウンターの奥で、オーナーが腹を抱えてるのが見えた。このネタを使うのは何度目になるんだろう。でも、いつもここまで。
 今まで釣れた魚は一匹もない。     (了)





コメント(20件)

11-30 00:24
いくぽん @plala.or.jp
貴殿が踊っていたという姿を、
是非是是非、拝見したかったですね(^^)

11-30 00:28
市川 秀一
>いくぽん さま
 もう、ホント、考えられませんね。何やってたんでしょうねぇ。阿波踊りみたいなモノでしょうか。

 って、これ創作ですから、アクマでも。

11-30 01:10
cask
私も何度か行ってました。
前のオデッセイの方が馴染み深いですが。
学生時代といっても10代です、原チャリに乗ってね。

この頃は平日でも人が沢山居ましたね。

あー若い頃ナツカシス

キスですか・・・
さてと、今日は帰ったらキスするかな。

ネコと

11-30 01:48
千絵蔵[URL] @unknown


ワンレングス・ソバージュの女のコ・・・。
昔の私か?と思った。

たはははは(´▽`)

11-30 02:07
ミクロスゾーンたっかめ
懐かしかぁ。そんな感じです。

11-30 05:53
おきがる
懐かしいですねぇ~
おきがるも、遊びに行ってた(o^^o)ふふっ♪

この話は、おきがるにも結構
青春時代です( ̄▽ ̄)。o0○ ポアン

11-30 07:28
市川 秀一
>cask さま
 高校デビューでございますね。始発列車で帰宅、というよりはマシかも知れませぬ。ハコが小さいせいか、個性派の客が多かったのでしょう。

 出会い、を求めるにはオオバコのほうが人気出ますわね。

>千絵蔵さま
 当時、好きなオンナのコのタイプは?、と訊かれ、「ワンソバ」と答える男性結構多かったんじゃないでしょうか。「ワンコソバ」じゃないっつーの!

 千絵蔵さまのかつてのイメージ。千堂あきほ、ですか、石原真理絵でございますか。

>ミクロスゾーンたっかめ さま
 店ですれ違っていたかも知れませぬね。なんせ小さなハコでしたから。

 次回、ビストロH(アッシュ)の記事アップいたしますよ。画像が上手く撮れなくてねぇ。

>おきがる さま
 お待たせ致しました。苦手な創作モノですが、お楽しみいただけましたでせうか。お若いのに、ヒステリッククラブですか。不良、でございましたねぇ。

11-30 09:44
月水(ツキミ)
こちらのお店はわかりませんが
創作(ほんとに使ったネタ?)読んで笑わせていただきました
ぎゃはぁ~ 歯がうく

11-30 10:33
鈴音
懐かしい~!!
私もヒステリッククラブが、好きでした♪
そっか、火事になって、なくなっちゃったんですね。
フっと昔の事を、思い出しちゃいました。。

11-30 13:21
千絵蔵[URL] @unknown
お椀を出すと、長い髪の毛が入ってくるの?
貞子かよ!!(((((゜д゜)))))



話変わりますけど、おばが(当時50代)石原真理子さんに似てたのでどちらかというとそちらではないかと・・・。
でも私自身はおにゃんこの河合その子さんだとか言われた・・・だれそれ?←おにゃんこ、しか知らない。

髪の毛は、日本髪を結いたいがために伸ばしていたんです。でも長すぎてもダメなの(TT)ガビョーんですわ。

11-30 13:23
千絵蔵[URL] @unknown
あう。
石原真理絵さんに改名されたんでしたっけ?

芸能ネタ・流行モノはスピードが速くすぎてすっかりおいてかれてます。

11-30 20:51
市川 秀一
>月水(ツキミ)さま
 寒くて、凍えてしまわれましたか。このネタは完全な創作です。ワタシには珍しいオチですね。駄洒落はそれほど、得意じゃない。

 完全にスルーされなくて、嬉しいです。

 でもさあ、前記事のエビシアに対するワタシのツッコミ、誰も評価してくんないだよなぁ。囲んじゃお。

 エイッ!

>鈴音 さま
 あら、ここにも不良が一人。あの頃、踊るのってソンナ悪くないアソビでした。カラオケボックスって閉鎖的なアソビですよねぇ。

 ナンパもできない。それでいいのか、青少年。

>千絵蔵 さま
 お得意の一人突っ込み、一人呆け、ありがとうございます。場がとっても和みましたわ。

 河合その子ねぇ。あの無表情な素人っぽさ加減はウィンクのオリジンではないでしょうか。でも、可愛らしいと評価されてました。

 ワタシ、ウィンクはともかく、河合その子は評価してましたよ。おにゃんこに似合わぬ年齢だったと暴露されてましたが、当時。

 石原真理子ちゃんは今年、石原真理絵に戻した模様。ワタシだってワカリマセンから都度調べてカキコしておりますことよ。おほほほほ。

11-30 21:30
いくぽん @plala.or.jp
桜館・・・。
中国茶のお店しかしらないなぁ?
これも、もうありませんが。

12月30日締切の公募は応募します?
萬ちゃんの続編は書かないのかしら?
あのキャラ、スキなんです。

11-30 21:37
cask
今更ですが、こういった出会いの場は今の帯広にあるのでしょうか?
出会いが欲しい私は何処へ行けばいいのー??

11-30 21:55
市川 秀一
>いくぽん さま
 きたね、その話題。今回は間に合わないかもしれない。12/10までに論文一本書くことにしたので。取りあえず、ブログは休止しなければならない。

 萬造の続編、カキコするつもりだったのに。萬造自身に特命が下ってしまって。

>cask さま
 えー、2ちゃんの帯広スレ的には、ドリームタウン白樺とのこと。違ったっけか。

11-30 22:04
cask
まちBBSかな?
あんまり行かないもんな。
203氏あたりが出入りしてるか?

ブログ休止???

11-30 22:12
市川 秀一
>cask さま
 そう、アッシュのカキコで一段落。余裕のない日々はツライので。今日、5万アク達成したし。バーネタで復帰する予定。クリスマス前には。

11-30 22:55
cask
そうでっか、色々予定もあるだろうし。
市川様のブログ読めないのは(´・ω・`)ガッカリ…
しかし、復帰するなら首を長くして待ちますかぁ

12-01 00:15
いくぽん @plala.or.jp
残念!
同居人様から「萬造の続編が・・・」と聞いたので
楽しみにしていたのですが。
仕方ない。来年の6月30日を待ちますか。
来年の話してしまった。鬼が笑ってますね(^^)
私は間に合えば応募します。

12-01 07:56
市川 秀一
>cask さま
 請負稼業のツラサでございますが、依頼の入るうちが華なので。

>いくぽん さま
 なんとかなるかな、と淡い期待もございます。コント応募は断念しました。  
Posted by きむらまどか at 06:40Comments(0)創作・失われた街角

2012年01月27日

’89『ディスコティッククラブ・オデッセイ』/GOEMONに捧ぐ

2006年11月17日(金) 00:00 ▼コメント:40件

どなたか、Gグループに突っ込んでくれる方いらっしゃいませんかぁ。言いたいこと、いっぱいあるのにぃ。思い入れあるなんてのは、ワタシだけなのかしらん。

 済みません。嘘ついてしまいました。たった今かえってきたばかりでございます。本日のブログ更新はあきらめました。ネタが重くてですね、アップにパワーが必要です。コメントだけ返して、これから寝ます。(現在11/18 07:44)

札幌でお座敷がかかっていますので、ちょっくら行って参ります。それゆえ、本日これ以降のコメントはできませぬ。明日の午前4時頃再会いたしましょう。新記事アップは何時になるか。

 さあ、思い出バナシを語ってくれよ

 昨晩のフラガール、ほぼ満員。蒼井優のダンスは素晴らしいし、松雪泰子のやさぐれ具合も最高。けれどね、作品全体としては期待ほどではありませんでした。嫌われ松子の一生、のほうが出来が良かった。そんな印象です。

 でも、CHINEとかちで延長が決まったようです。確認して、ご覧になってみてください。

 Gグループから独立したメンズショップTが閉店セールなんですね。先ほど偶然通りがかって、新聞広告見て、感慨ひとしおでした。Gグループのときは、一階がNでしてね。二階がT。どちらの方々とも仲良くしていただきました。

 NにいたMちゃんが今、繁盛してる喫茶Uをやってらっしゃる。

 わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。

 Gグループの変調はNの単独店舗失敗が象徴的でしたね。






 エレベータを四階に上がる途中で、人民帽をかぶった。三年前、上海のデパートで買ったものだ。
「なに、それ」裕美子は驚いた顔をする。
「一応、パーティーだからさ。一寸ヘンでいいでしょ」
「かなり、変」笑った。襟の白いフェイクファーが可愛らしい。

 ジーンズショップGの恒例クリスマス・パーティは、客も従業員も楽しめる素敵なイベント。Gのオーナー、関谷さんが偉いんだろうな。だから、チケットはいつも売り切れ。
 ボクは毎年Nのますみちゃんにお願いして、キープしてもらっていた。普段の付き合いってのが活きるってもの。



 受け付けを済ませる。既にもう『オデッセイ』のフロアは一杯で、踊ってる、踊ってる。七月に『コスミックプレス・パラディウム』から名称を変えた理由はなんなのだろう。確かに「プレイス」じゃなくて「プレス」ってのは、訳わかんなかったけど。

 ドレスっぽいのでめかしこんでいる女のコが結構多い。タキシードなんてのもいる。Rじゃなくて、Gでジーンズを買う人間の矜持ってやつかな。おっしゃれー度が高い。
 ごちゃごちゃになりながら、飲んだり、食べたり、踊ったり。そのうち、イベントも始まる。今年はなんだろう。
 MCが声を張り上げる。

「ゆでたまごの、早喰い競争でーす。参加希望者はステージ前にどうぞー」
 ボクもステージ前に向かう。競争率は高い。選ばれるのはMCの目に入った人間。彼には面識なかったのだけれど。でもNのお姉さんたちのお陰で、ステージに上げてもらえた。やっぱり、関係者にコネがあると強い。

 ステージに乗ったのは、名前は知らないけど、GやTで服を選んだり、店員と和んだりしてるのをよく見かけるってのが、4人。あとは、知らない女のコ。ボクをいれて6人の争い。

「Iくーん、がんばってえー」と応援してくれる裕美子やN軍団に手を振る。恥ずかしいけど、こんな時照れちゃいけない。オーバー過ぎるリアクションが相応しい。

「ルールは、殻付のゆでたまごを5個、一番早く食べ終えた人が優勝でーす。もちろん、殻はむいて構いませーん。優勝の景品はアビレックスのA2ジャンパー!!」

「キャー」と悲鳴があがる。時価十万円の代物だ。思い切ったなあ、関谷さん。問屋さんも泣いているかも。こりゃあ、張り切っちゃうよね。

「じゃー、早速いきまーす。まだ、たまごには手を触れないで、くださーい。はいはい。さあ、アビレックス目指してー。レディー!ゴウ!」

 一斉にテーブルのゆで卵に手を伸ばす。殻をテーブルに打ち付けて割り、急いで剥がす。そして、口に入れる。
 ここまでは、皆一緒だった。ボクはモグモグしながら、次ぎの卵を割りにかかった。ところが、他の皆は口を動かすばかりで、割る動作に入らない。

 混乱した。まさか、ルールに一個食べ終えるまで、次ぎの卵に手を付けちゃだめ、なんてのがあるのだろうか。いや、そんなこと言われてないはず。ボクは食べつつ、割り続けた。どんどん差は開く。

 5個目の卵を飲み下してから、右手をグウの形にして、振り上げる。あっけなく優勝。裕美子とN軍団が大騒ぎしているのが、わかった。

「おめでとー、ございまーす」
 MCがA2ジャンパーをかけてくれようとする。キャメルのジャケットを脱いで、A2に袖を通す。ずっしり重い。皮のいい香りがした。





 また、パーティーはもとの喧騒に戻って、それぞれが楽しんでいるように見える。不時着した宇宙船をモチーフにした内装。その中で奏でられる壮大な叙事詩。

 ミラーボールの光りに照らされて、現代の吟遊詩人たちは踊り、笑い、酔い、語っている。バブルといわれる時代をボクらは生きている。いつ破裂するか、なんて考えちゃいない。ただ、今だけを楽しめればそれでいい。

 裕美子は友達のところに行ってしまい、ボクはひとりでフロアを眺めていた。傍らに短いスカートのロングソバージュが近寄って来る。早食いに参加してたコだと気付いた。

「私、あなたの十七年後が見えるわ」
 ボクはのけぞりつつ、尋ねた。
「なんで、十七年後なの」
「ニ〇〇六年はね……」
 彼女は唇を舐めた。
「私が生まれた年」
卒倒しそうだ。
「驚いた?」
「当然!」            











コメント(40件)

11-17 00:11
maikyon
デスコでフィーバーしてバッチグー!

フードファイターはこうして生まれたのか…。

11-17 02:11
cask
私も若い頃デスコでフィバってました!
オデッセイもっその1つです。

高校生の時に、お姉さまと仲良くなり・・・
そんな思い出が・・・

11-17 04:40
市川 秀一
>maikyon師
 ワタシ、ディスコでフィーバーという感じではなかったですね。常にガラス一枚隔てて、そこに存在しておりました。心象風景としては。

>cask さま
 そうですか。青春真っ只中、でございますね。実はディスコネタもう一件仕込んであるんです。そこはどこでしょうね。

11-17 08:23
おきがる
おきがるも、このディスコ世代です。

もう一つのディスコネタ楽しみにしてます(^^♪

11-17 08:33
bonnhaha
ディスコ知らない世代だ(グスッ)
でも、なんか、読んでいてドキドキしました。

簡単な感想・・。

11-17 09:28
OZ
私も若かりし頃よく通いました、懐かしいほろ苦い思い出ですね。
 シリーズの続きをお待ちしてます。

11-17 19:36
cask
デスコネタなんでせう。
パラディウム、アイランド、ロコモーション、何か色々ありましたな・・・

ダブ・アンダー・ザ・グラウンドか?

11-17 21:12
月水(ツキミ)
オデッセイは何度かパーティで行きました
とある夏の夜のパーティー
視線と誘惑とお酒が蒸した店内を更に熱くさせました
何のお祝いだったか誰がやったのか、ビールかけが始まり
盛り上がりは最高潮に、私も頭からかぶりました
ビールかけ体験は今のところアレ一回だけ;いい思い出です
普通の店なら怒られますよねぇ(笑)

そして教訓「汗ばんだ季節にビールはかぶるものではナイ」
もれなく納豆のような香りに全身が包まれます・・・Orz

11-18 07:57
市川 秀一
>おきがる さま
 ディスコ・クィーンでございますか。ワタシはひたすら遠くから崇めるばかりでございましたでしょう。もうひとつのディスコは伝説のディスコかも。

>bonnhaha さま
 この創作の終わり方は、ワタシの実験というか遊びですね。混乱させるばかりで、効果としては今四くらいかと。でも直すつもりはございません。

>OZ さま
 ワタシ想像するにマイとかちのユーザー、あるいはROM専の方々共々、30歳代後半から40歳代の方のボリューム結構高いのではないかと。

>cask さま
 ダヴ?! それこそカタギの人間は入れたのでしょ。そんな店に出入りされていた貴殿は立派な”不良”でございますね。

 ね、眠い。死にそうだ。

>月水(ツキミ) さま
 ああねぇ。貴女の年齢でオデッセイとなれば、デビューが早かったのでございますね。それこそ、中学デビューでございますか。

 ”誘惑”は英訳すると”temptation”。故本田美奈子さまの歌でございましたが、ご存知? で、どんな誘惑でございました?甘かった? 苦かった? 酸っぱかった? おホホ。

11-18 08:23
bonnhaha
あ・・よかった♪
えぇ、えぇ、直さなくて。
あの、終わりの???が無かったら、
私には、つまらない、読み物でしたよ。
多分ね。別な感想持ったかな・・さあ、どうかな。

11-18 12:08
市川 秀一
>bonnhaha さま
 こういったオチの付けかたもアリなんでしょうが、下手糞とそしられても、仕様がございませんね、という無惨さ。

 出来の悪い子ほど、かわいいとはよくいったものです。自身を作品に投影してしまうのでしょうね。理解されなくても、それは自分の責任だよね、っていう。

11-18 14:10
cask
市川様、寝不足ですねww
あなたはタフな方だ。デスコも現役では?

11-18 14:21
市川 秀一
>cask さま
 カタギの人間は入れませんでしょ、の誤りでございます。謹んで訂正させていただきます。

 美味しいお酒、嬉しゅうございました。

 懐古的なディスコ・パーティーが結構盛り上がっているようで、ワタシ世代が活躍しているとか。恐ろしくて行けたものでは、ありません。まさに(元)不良の巣窟と考えております。

11-18 20:09
cask
氷割を終了しますた。
私は何ざんしょ、堅気って(;・∀・)

楽しく過ごさせていただきました。
また是非機会をお願いします。
言いたい放題に言ったと思うのですが記憶が(;´Д`)

デスコといえばソウルパーテーが30代後半から40代で結構な集客してるようですな。
飲食店が主催されてるようですが、それだけ集客あるなら店の売上は少なくてもやってけるのでは

11-19 00:20
市川 秀一
>cask さま
 先ほどアップした、レストランバー モンヴィルさまもロックには丸氷を使用されてましたわ、そういえば。

 折角の14年熟成シングルモルトなのに、ロックにしちゃう”贅沢な”呑み方をお隣さんはされてました。

 ブラックネスさんね。三浦さんは中学のコワーイ先輩でした。失われた街角”ルードボーイ”で取り上げたエピソードは宮本ビル時代の彼の口から聞いたハズです。

11-19 15:23
cask
丸氷は手で割ったものでしょうか。
自動製氷機で丸氷が作れるものもあります。

市川様、私の名前の由来カスクをご存知でしょうか。
cask=樽なのですが、通常ウイスキーでカスクといえば原酒です。
cask strength = 樽同士をバッティングした原酒で加水をしない。
single cask = 1つの樽のみでの原酒。もちろん加水なし。瓶詰数が極端に少ない。美味しいものも多い。

冷やすという事は味が出ない。氷を入れるという事は加水と同じでまず、本来の味を味わってない。加水する事で全く味が変わる、変わる前の味を楽しんでから加水するのが筋と私は思ってます。

デスコでナンパしてた時期が懐かしい。
出来れば当時に戻って人生をやり直したい。
いや、中学生時代まで遡りたいww

11-19 17:32
市川 秀一
>cask さま
 戻り杉ですってば。

 モンヴィルさんは、69名収容なんですよぉ。自店では作業してないんじゃないかな。綺麗な氷ではありましたが、削りではないような。

 フロム・ザ・バレルはシングル・カスクと同義になるのかしら。

11-20 10:43
cask
最近では丸氷の他に、カチ割り氷っぽいのもありますね。作業を考えると製氷機は作り物とはバレますが良い仕事をしてくれるでしょう。

バレルも樽と同義語でしょう。
しかし、バーボンの場合は樽詰する時点で加水をしてる訳で、カスクとは異なるかと。

シングルモルトの場合はシングルカスクと同義になるかと思いますが。

11-21 06:46
市川 秀一
>cask さま
 バーボンまで、いってしまわれたか。でも、ピュア・モルトってのは不思議な表現でございますなぁ。

11-21 15:37
cask
サントリー山崎は、ピュアモルトを謳ってましたが、去年辺りからいきなりシングルモルトと宣伝し始めました。

何ですか?

こういうのもウイスキーにおいては許せない。
良いビールは造ってるのにね

11-21 20:34
市川 秀一
>cask さま
 お、ぢゃあ、ピュアモルト消滅かぁ。ほほほ。折角考えたのにねぇ。

11-21 20:56
cask
まぁ、サントリーにとっちゃウイスキーなんて遊びに過ぎないかもね。
儲け方が他のビール会社の非じゃありませんからね。
輸入量も凄いでしょ。

ある意味、ビールが凄い。
ビール部門が出来てから40年間連続赤字。
酒類メーカーのトップとしては、ビールが負けてるのは悔しいんですかね。採算度返しですから。

モンド賞受賞って謳ってますが、モンド賞って2流企業が受賞する賞ですからね。それを宣伝文句にしてしまうのがまた凄い。普通なら恥ずかしくて出来ませんよ。小さな菓子メーカーとかが受賞するような賞ですし

11-21 22:04
市川 秀一
>cask さま
 ええっ。モンド賞ってビールもあるの。じゃあ、旭川の男山が連続受賞している国際酒類コンクールってのは。

11-21 22:18
cask
どうなんでしょうね、そんなの名乗ってるのも男山くらいではないでしょうか。
国内での評価をもっと気にした方が良いのでは??

11-21 22:32
市川 秀一
>cask さま
 ワタシ、日頃日本酒は月桂冠・辛口派か月を。正月は男山・純米生酛に決めてます。選ぶの面倒で。

11-21 22:36
cask
男山生酛は非常にコストパフォーマンスに優れてると思います。私もたまに呑みますよ。
本当は十勝に蔵元あればねー贔屓にするのに。
月桂冠はよくわかんないだす。

ボロネーゼ美味いっす。
残り物のワインにしては上出来ですな。

11-21 22:38
市川 秀一
>cask さま
 そりゃ、結構。ワタシはもう寝る。さて、明日は記事アップできるかね。

11-21 22:44
cask
出来れば毎日お願いしたい。
ではおやすみなさい

11-22 05:33
市川 秀一
>cask さま
 おはようございます。連続8日目の鬼アップの準備にかかります。今日は午前8時頃を予定。

11-22 11:22
みっき-
ディスコかぁ・・・・・・(ニャ)

11-22 14:18
cask
ディスコじゃなく、デスコですw

市川様お疲れですた。

11-23 09:05
市川 秀一
>みっき- さま
 さすが、必殺遊び人でございますね。

>cask さま
 ここでコメントした時点では、2記事アップを想定しておりませんでした。最後の記事はまさに蛇足ですが、ちょっと実験してみたかった。

 なぜに、デスコにこだわるの?

11-23 13:34
cask
デスコ、パンテー、シーデー(CD)、オッサンは小さいィを発音しない。
うちの親父がそうなんですが、年寄りを意識しました。
夢プラザが50コメントを超えレス出来ません(;・∀・)

11-23 17:49
市川 秀一
>cask さま
 なるほど。アチコチにカキコしてますが、体力が回復しません。今日は酒を呑まずに豚汁で乾杯です。

 総コメントに占める貴殿の占有率は3割を超えるかと。ワタシのレスコメ除いたら、もっと高いかも。

11-24 00:06
cask
そんな市川様にレスしてるかなぁ?

昨日は何だかんだで、色々味見しましたしね、地味に量は飲んでるかもですな。
3割は言い過ぎなのでは。確かに食いつきは誰よりも良いかと思いますがw

他の記事でのビガー、あれ、流行ましたね。
直列5気筒、ワインレッドがCMで使われたんでしたっけ。
ゴルフの見積もり、当時のイシハラはVWがあったから良かった。まだバブリーな時代、ベンツも売れてましたしね

11-24 06:30
市川 秀一
>cask さま
 残念でした。五気筒フロントミッドシップビガーぢゃなくて、リトラクタブルライト4気筒の方。古い型式のほうですね。

 レスはね、多いよ。数えてごらんなさいましな。

11-24 21:07
cask
あ、わかりました、
ちょうどあの時期プレリュードもリトラクタブル。
あの時代からセダンのくせに結構なパワーを持ってましたな。

私、ホンダ車はレースでしか乗ったことがありません。

レスは数えるのは面倒なんで、市川様を信用することにしましたww

11-24 23:01
市川 秀一
>cask さま
 リトラクタブルになる前の、メルツェデス・コンプレックス(←徳大寺有恒)の強いスタイルのプレリュードにも乗ってました。

 紅いヤツ。ゴールドのホイールで。

11-25 04:01
cask
ナツカシス!
ゴールドのホイルはメッシュ?

ホンダ好きなんですな。現在もホンダですか?

11-25 09:01
市川 秀一
>cask さま
 メッシュ!!! そうそう。あはは。ホンダファンだったのですが、現在は諸般の事情で日産車でございます。

 普段運転しなくなったせいか、割とクルマ、どうでもよくなってきましたね。
  
Posted by きむらまどか at 07:23Comments(2)創作・失われた街角

2012年01月22日

帯広で一番の魚屋の跡/’88『まい・ど~む』(商業施設)

2006年10月26日(木) 08:06 ▼コメント:50件

帯広市西7条南20丁目1 帯広日産自動車㈱ドーム店 が夢の跡。





 Kの部屋に電話する。
 呼び出し音が頭蓋骨に響く。我が家の電話は昔ながらのダイヤル式黒電話なのだ。おふくろに「いい加減、換えたら」と何度か交渉はしている。けれども、愛着が強いらしい。わざわざ、高い使用料金を負担しつつもおふくろは使い続ける気だ。

(一回目、二回目、三回目…。)
 耳に受話器を押し当てている気分はとても微妙だ。声を聴きたいから電話したのだし、会いたいから、デートに誘うわけだ。でも、世の中それで済むほど、単純じゃない。

 いないほうがいいかな、と本気で考えているフシもある。そりゃあ、機嫌よく電話に出てくれて、機嫌よくデートの誘いを承諾してくれる確信があるなら、そんなこと考えはしないだろう。でも、Kにそれを期待するのは無理だ。

「はーい、Kです」ああ、でてしまった。もう逃げるわけにはいかない。
「Iです。もう、遅い時間ですけど、外、出ませんか」午後十時を過ぎていた。
「え、これからなの」眉をひそめている顔が想像できる。
「ええ。ちょっと思いついたんで」ボクはたいてい弱気だ。
「別にいいけどさあ」Kはいつも強気。
「まい・ど~むに、飲食スペースがあるんですよ。夜中十二時までやってるってことなんで、どんなかなって」

 帯広で百年続いている鮮魚店が、ニチイ帯広店の西側に、巨大なドーム型の施設を作った。それが『まい・ど~む』。ドーム型の商業施設としては、世界で初、といった触込みもあった。
 魚屋のスペースばかりじゃなくて、野菜や青果物、肉類、雑貨の店舗もあってショッピングモールを形成してる。今も帯広中心部に名残が残っている「れんばい」の現代版っていうのだろうか。
 ボクが注目したのは「パオ」と名付けられたレストラン街。和・洋・中華と揃って、各店舗からセルフで運び、中央のスペースで食べることができる、というウワサだった。

 迎えに行くと、Kは黒皮のコートを着て部屋から出てきた。十一月の風はもう、かなり冷たい。指はかじかむくらい。
「いいですね、そのコート」
「買ったばっかりなのよ。慣らしに着るには丁度いいんじゃない」
「そうですねえ。たぶん、あの建物寒いと思うし」

 まったく、嘘でも「大切な人だから、着ちゃった」くらいのこと、言ってくれないのかな。ちぇっ、な気分。
「お茶しかしないわよ」Kが釘を刺してくる。
「そのつもりです。どんなトコか分かんないですから」ボクはエンジンキーを回した。
 国道三八号を東に向かう。既に鉄路がはずされてしまった旧士幌線を跨ぐ陸橋を渡る。もうすぐ、コイツも取り壊されてしまうのか。
 想いでの場所を消されてしまう気分はどんなものなのか、北栄、一中ラインの誰かに話しを聞いてみたい。

 十代の大部分を西五条から東のエリアで過ごしたボクは、大通り跨線橋には思い入れがある。帯広駅周辺の高架化が完成してしまえば、あの陸橋も消えてしまうのだ。せつない。
 今こうして、Kときままな付き合いを続けているけれど、来年ですら、どうなっているか、わからない。無くなってしまえば、寂しい思いをすることは間違いないと思うのだけれど。
 でも、陸橋の替りに鉄道高架ができるんだし、隣のシートに違う女のコが現れないわけじゃない。

 西五条を右折して、記念碑前を越せばもうすぐだ。Kとの関係に期待は持てそうにないけれど、『まい・ど~む』には頑張って欲しい。素直に、そう思った。今までにない、何か。新しいものが生まれる予感がした。

 十三分後、ボクの予感は的中した。広いスペースは、当然人が多く集まる。しかも遅い時間だから、若いヤツラが大部分だ。しかも店にまだキャラクターがついてないものだから、客層といったものがない。デートの相手で店を使い分けるのは、得意だと過信もあったのだろう。
「あら、I君。新しいカノジョなの?」背中越しに声を掛けてきたのは、昨日デートしたWだった……。

「はちあわせのメッカ(バービーボーイズ)」と化してしまった『まい・ど~む』は「一兎どころかニ兎も三兎も追う」、「下手な鉄砲も数打ちゃあたる」をモットーにする男女には鬼門であることが判明し、そして誰も寄りつかなくなった。
                 (了)

 あとがき

 ポスフール近くの日産ドームが、『まい・ど~む』であったことご記憶の方、いらっしゃいますよね。
 コンセプトの誤りではなく、オペレーションのミスによって破綻したケース。販売スペースには照明の明るさが足りませんでしたね。天井高すぎてライトの灯りが届かない。
 これの失敗で100年続いた荘田水産が消えてしまいました。西1条南10丁目界隈の名門だったのに。これのことも誰か書いてくれんかのぉ。



コメント(50件)

10-26 08:17
市川 秀一
 これはアクセス低いはず。だって、活動期間短かったからねえ。現在53だから、400までいけば、オンの字を覚悟しております。
_______
10-26 08:57
月水(ツキミ)
まいどーむ時代には入ったことない
日産ドームには数回
…冬は広すぎて暖房つけられないんでしょうね
寒くてゆっくり車を眺めることができませんでした
_______
10-26 09:15
市川 秀一
>月水(ツキミ) さま
 ワタシ、ドーム店訪問できていないんですよ。記事書く前に確かめたかったのですが。そうですか、やっぱり寒いか。

 まいど~む、の表記のときは「ー」じゃなくて「~」でございますことよ。当時の広告で確認させていただきました。

 川西町愛国近辺にあった「夢十勝」はご記憶あります?
_______
10-26 09:37
月水(ツキミ)
「~」ね、面倒くさかった(失礼)

夢十勝 知らないです もう無いの?いつあったの?
名前すら知らない聞いたこと無い 私無知?
_______
10-26 09:40
市川 秀一
>月水(ツキミ) さま
 そうですか。やっぱりご存知ない。お若いから当然かも。さて、これから出勤。

 どなたかご存知の方、いらしゃりませんかぁ。
_______
10-26 09:54
田中
市川様、おはようございます。初めまして。

帯広から向かうと愛国橋の渡りきったカーブの所に、
三角のガラス張りの建物でしたか。ありましたよね。
数回行きましたが、何これ?何をしたいの?何を見せたいの?との感じでした。以前旅行会社に在籍した時、添乗員で立ち寄りましたが、お客様から大ブーイングをいただいた記憶があります。
ちなみに、今夏頃、市立図書館に行き、その当時の勝毎の新聞記事を見たら、『十勝観光の目玉誕生?』と言う見出しがあったような気がしますが・・・・。
_______
10-26 10:34
密室のタカハシ @plala.or.jp

言われてみて『あぁ、あったな』と懐かしむ。

失われていく「意味のある物」 「無い物」

これも時代の流れか帯広が特別なのか・・・

自分もいずれ消えて消滅しますが・・・八ッ八ッ♪
_______
10-26 10:36
cocoro
ガラスのピラミッド!
あっと言う間に消えてしまいました・・・
建設当時多少かかわったので知っています。
元市議か道議をやっていた方を中心に市内でも著名な方がかかわっていましたが、結局夢で終わってしまったと言うことでしょう。
_______
10-26 11:43 ---
ユーザーにより削除されました
_______
10-26 11:43
千絵蔵[URL] @unknown
まいど~む、行ったことないです。
・・・そうか!そういうところに行けばナンパされたのか!!←シツコイ。
いやハタチじゃもう年より?

荘田水産がなくなったのは残念ですね。

そういえば北栄・一中のあたり、幼い頃あの近くに住んでました。市営住宅の台所がコンクリートだったころ、隣の家の庭にはまだ牛や馬が飼われていたような・・・。牛は間違いないよ!見たもの!!空き地ではシロツメクサがたくさん咲いていてモンシロチョウを虫かごいっぱいに採ったとか。
成人してそのあたりを訪れたら何もなくなってしまって涙がでましたね。
それからチョマトー?あれも埋め立てられましたよね。後から思えばその当時の幸せがどんなことだったのかわかるもんですねえ。

帯広めっきり都会化してます。いいことだとおもいつつ、没個性化は否めない・・。
_______
10-26 11:44
cask
夢プラザは60年代に作られたのではなかったでしょうか。運営会社が夢十勝ではなかったかと。
気付くと無かったですな。90年の半ばまでは放置されて建物自体は有った気が。

大通り高架、西5条のアンダーパスは近隣住民や店舗にとっては良かったのではないかと。道路高架やアンダーパスの付近は寂れ気味になるものです。
商売をやっても難しいでしょうし、車で行くには道路も複雑になりかねない。

まいど~むありましたね。当時は東京ドームも出来、ドーム型を真似ようという発想では無かったのでしょうか。そして、入り難いのも原因では無いかと。主婦が買い物に行くような場にしては、入り難い。

士幌線跡地は現在遊歩道になるのかな、整備中でしたよ。
_______
10-26 11:44
市川 秀一
>田中 さま
 まい・ど~むも夢十勝もグリュックもモーターパークも、バブルの産物でございましたねぇ。あれで各社相当の自己資本を毀損している。

 夢十勝も実は、失われた街角シリーズのラインナップにあるんですが、季節が違うのでまだ出せません。

>密室のタカハシ さま
 早いトコの復帰を祈念しております。いくぽんさんも寂しがってますよ。

>cocoro さま
 山○○太郎さんですよね。うははははは、としか申せません。まさに夢はうたかたのもの。


 さすが、夢十勝についてコメント下さるのは、年齢がワタシよりも上の方ばかりとお見受けできます。

 月水(ツキミ)さま。そういうことですから安心なさいな。

 それでは、まい・ど~む、あるいは創作の感想なども。みなさま、ささ、オ気軽に。
_______
10-26 13:50
市川 秀一
>千絵蔵 さま
 公園東町と四中の中間地点くらいに住んでいたことあるんですが、当時家の裏にサイロの痕跡が残っておりましたね。もう、そんな牧歌的な光景は中心部では見られなくなりました。

 日本の中央集権的国家体制が没個性化を進めたんです。地方色なんてものは、市町村合併とは全く関係のない部分で薄まっているのが事実。

>cask さま
 私設の名称、夢プラザが正解かもしれません。でも、建物は昭和60年代ではなく、'80年代のほぼ終わり頃完成のはず。後で死霊(資料)を確認しませう。
 建物が取り壊されたは、21世紀には入ってからのはず。

 士幌町糠平の鉄道資料館(だったかな)に行きますとね。旧士幌線全線の運転席からの映像を楽しめます。ふる~い帯広駅なんか、とっても泣けますよ。

 麺屋どんぐりのラーメンと込みで楽しめます。グルタミン酸ソーダ使ってないはず。

http://blogs.yahoo.co.jp/men_no_nariyuki/40502882.html?p=1&pm=l

_______
10-26 14:51
bonnhaha
私は、相当年寄りだなぁと、つくづく思います。
この作品、懐かしさを感じるのに、何故か、私には
まい・ど~むは、なんの思い出もない。
一度買い物に行って、二度と行きませんでした。
主婦にとって魅力的ではありませんでした。どうしてか、今となっては思い出せません。駐車場の問題もあったかも。

しかし、それなりに若い方は利用していたのですね(笑)。

私の古い帯広の街は、連売と西1条の露天。大通の跨線橋も西5条の立体交差もありません。あのあたりは、それらが出来て寂れました。

帯広の都市計画って・・まったく、失敗ばかりをみてきたような気がします。
_______
10-26 15:11
みっき-
あの形は何回みても好感がもてないキャーーー(笑)
_______
10-26 15:16
PCアトリエ
まいど~む・・・
なにか記憶のアンテナに引っかかるんです。

今回帯広に移住する前に
1年ほどだけ帯広に住んでいたことがあります。
昭和50年のことなのですが
あれってその頃の建物ですか?
_______
10-26 19:09
空 @plala.or.jp
懐かしい…の一言です。
あの建物には一度も足を踏み入れたことがないです。
荘田水産時代も現在の日産になってからも…。
行ってみればよかったな~って、帯広が遠い街になってしまったことに気づいてしまった感じです。
解っていたのに更に頭を殴られたって言うのでしょうか…。

チョマトーって、現存しないんですか?
_______
10-26 19:17
cask
これから問題になってくるのは、街中の屋根の掛かった通りですな。屋根と建物の一体化。しかし、屋根を繋げていない店舗も唯一あったはず。
今考えると、有る意味正解か?

夢プラザは80年代でしたか。
いずれにしろ、今頃有れば噂の東京マガジンにでも出ていたかもしれませんな。
_______
10-26 20:35
おのでら @ocn.ne.jp
皆様はじめまして、こんばんは。
いつもロムばかりでしたが、なんか懐かしい話題なので、参加させていただきます。
80年代ネタで懐かしいのは、十勝博ではないでしょうか。
新幹線や月の石の展示が、印象に残っています。
でも、松田聖子の公開録音が一番よかった。
なつかしィ~。
長文失礼しました。
_______
10-26 21:49
いくぽん @plala.or.jp
壮田水産・・・。
幼少期、街の真ん中に住んでいた私は
よく行きました。
よく・・・と言うより、ほとんど毎日。
一緒に暮らしていた祖父が全盲だったため、
魚といえばお刺身でした。
贅沢ではなく、骨がないから。

グリーンのザルを上からぶら下げてましたね、
釣り銭入れるのに・・・。
お釣りが札でかえってくると魚のニオイがしました。
開きほっけなんぞ包装紙に油がしみてきて、
ビニールに入れてから輪ゴムで・・・。
あの「パチンッ」て音、懐かしい。
_______
10-26 22:21
月水(ツキミ)
安心しました ほっ
_______
10-26 22:50
市川 秀一
 ええっと、ファイターズ優勝おめでとうございます、と月並みなレスで。

>cask さま
 クリスタル夢プラザ(ガラスのピラミッド)の正式オープンは'88.4.30でした。
 広小路の高井セトモノさんの先代が唯一反対されたのですな。ま、主張の通りの結果になったのですが。

>bonnhaha さま
 西5条の立体交差はともかく、大通りの跨線橋は存在したのではないでしょうか。いくらなんでも。ワタシ、bonnhahaさまの年齢誤解しているわけじゃ、ないですよね。

>みっき- さま
 あの形が気に入りませんか。それはなんとも。

>PCアトリエ さま
 まい・ど~むは昭和63年完成です。昭和50年でしたら、まだニチイさえありません。西五条の東側に大谷高校、西側に大谷短大と大谷幼稚園がございましてね。

 ご記憶のもの、なんでしょうね。他にキーワードございませんか。
_______
10-26 22:58
市川 秀一
>空 さま
 空さまの年代でしたら、就職でもされてないと全然関係ないでしょうね。オープンしてた期間も短かったし。

 チョマトーは規模がものすごく小さくなってしまいました。

>おのでら さま
 十勝博ね。帯広の森近辺でやっていたのは知ってましたが行きませんでした。新幹線は記憶にありますが、松田聖子の公開録音ですか。へぇ。写真が残ってたらお宝ですな。

>いくぽん さま
 パチン、って感じ記憶しております。しっかし、あのザル。経理もなにもあったもんじゃない、って感じですが、それでも利益が出たんですね、当時。
_______
10-26 23:01
市川 秀一
>月水(ツキミ) さま
 次の質問です。巨大迷路はご存知?
_______
10-27 00:00
いくぽん @plala.or.jp
対面販売が減ったため料理が苦手な人が増えたと言う説も。
対面のにーちゃんや、おっさんに
「これ、なんてサカナ?どうやって食べるの?」
店員さんも教育がハンパじゃないから、
「このサカナは砂糖醤油で煮て・・・」
「これはそのままで焼いたらおいしいよ」
「う~ん、それなら塩ふって1晩置いてから焼くんだね」
と、商品に見合った美味しい調理の仕方を伝授してくれたものです。
なんせ、私のまわりにはコロッケやハンバーグを
自宅で作ることが出来る、それさえわからない方が・・・
おります、事実です。
_______
10-27 04:58
市川 秀一
>いくぽん さま
 TBS日曜午後1時からやってる、噂の東京マガジン、だったかな。そこの名物シリーズ「やってTRY」では素人の方々に素朴な料理を課題にして作ってもらってますね、レシピなしに。正解率は毎回10パーセント未満。

 親が無くても子は育つ、とはいうけどねぇ。
_______
10-27 05:08
市川 秀一
 400アクの予定が529アク。これ、この記事へのアクセスだけじゃないんです。それが上振れの原因。想像するに、追加コメントを読みにお見えになっているのではないかと。

 一人突っ込み一人ボケはなかなか難しい。コメントいただけるみなさまに感謝です。

 昨日のログは、正統派が多い。中村屋系統もあったけど、お多福とますや食堂でトップ表示。これが嬉しい。
_______
10-27 23:04
月水(ツキミ)
巨大迷路 知りませんでした
おそらく現在の「いっきゅう」の場所にあったやつですよね?
そういうのがあったのを知ったのはウン十年生きててつい2カ月前のことです
なので詳しいことは知りません、行ったこともないです
_______
10-28 05:29
市川 秀一
>月水(ツキミ) さま
 なんだか、回答を無理強いしてしまったようで、申し訳ありませんでした。

 そう、それで正解です。そうですか、行ったこともないか。3シーズンやったかどうか、という代物。オカモトグループの経営多角化戦略の一環。

 パチンコ屋さんもやってたんですよ。木野で「北斗」という。成れの果てはハピオの西側にございます。

 巨大迷路に関する創作もございますが、季節違いなので、来年夏頃アップか。
_______
10-28 09:26
月水(ツキミ)
へ~ 巨大迷路ってそんなに短かったんですねぇ
2カ月前にそこでバイトしたことあるって話をチラッと聞いたんですよ
しかもオカモトグループですか 何でもやりますね
何でもやれる力があるのがすごい
あっちにもこっちにも手を広げて大丈夫か?って、大丈夫なんですね~スゴイわー

私の記憶ではハピオの西側には倉庫しかなかったような…
通ったら見てみますね
_______
10-28 09:30
市川 秀一
>月水(ツキミ) さま 
 なんかの工場になってます。建物の前はちゃーんと駐車スペースになってございます。

 さて、今日は札内方面へネタの仕込みに参りましょうか。
_______
10-28 09:47
月水(ツキミ)
ネタの仕込みとは?
食ネタでしょうか、無くなってしまったモノでしょうか
ま、どちらにしても楽しみにしています

ずっと前に市川さんブログに書いてた幕別のパチンコ娯楽センターは閉店しています
確認済みですか?
_______
10-28 09:53
市川 秀一
>月水(ツキミ) さま
 知りませんでしたぁ。やっぱりなぁ。十勝管内で最小規模店舗のはずでした。残れないよねぇ。寂しいなぁ。

 情報ありがとうございます。

 札内は食ネタです。特上のB級でございます。
_______
10-28 09:57
月水(ツキミ)
いってらっしゃいませぇご主人様ぁ~(メイド風)
どれだけ食べるのか楽しみですが 胃は大事にしてくださいませ
では
_______
10-28 12:28
cask
>>市川様
私、札内には詳しいですよ。
早くうpなされ(・∀・)ニヤニヤ

そして北斗は、学生時代にアニバーサリーという一発台にて儲けさせてもらいました。
一発台が無くなり、デジタルのみなになって私のパチンコは終わりました。釘を見る意味が無くなった訳ですから。

オカモト役員に仲の良い友達が居ます。市川様なら知ってるかもしれませんが、新規事業の切り込み隊長のK氏でございます。
_______
10-28 16:34
市川 秀一
 札内から帰って間もないうちに、藤丸へ。旬のお菓子フェアじゃないのを緊急アップするのがワタシ流。コメントのみで173アクセスか。

>月水(ツキミ) さま
 行ってらったいまて、ご主人さまぁ、が正しゅうございますよ。「大盛の上あるの?」と尋ねたら「特盛りあります」ですって。当然オーダー。

 火曜日以降ですね。

>cask さま
 札内にはですね、一時期一日の大半をこの街で過ごした時期がございましてね。

 K川さまなら、面識ございますが。色々ございましてね。先様がご存知ないハナシも。
_______
10-28 19:25
もぐらまま
愛国のガラスのピラミッドですかぁ懐かしい。

私はここから3キロほど離れた幕別に住んでいます。幕別にお嫁に来た96年から数年までは存在していましたが、高規格道路の建設、道路の整備などであっという間に取り壊しになり、工事の番屋になったり、謎の中古車屋になったりしていました。今のところは草ぼーぼーの空き地です。

私的にはあんな愛国駅によく観光客がくるなぁと思います。

札内もかなりマニアックワールドですよん。
お嫁に来たときはあの、河川敷のお城が不思議で仕方がありませんでした。(夜のお城じゃなかったのね)
_______
10-29 06:48
市川 秀一
>もぐらまま さま
 セレモニースペース「夢プラザ」は、輝かしい期間よりも、悲しい時間のほうが圧倒的に長くて、寂しく消えていかれましたね。合掌。

 河川敷きのお城、倒産したコンクリート屋さんの持ち物でした。自宅は石垣付きの日本式城。もう今はありません。そういやあ、あれもとってもバブル。

 幸せだったのは、亡くなった社長だけで、従業員の末路は悲惨です。そんな例は他にも。ホテル経営を夢見た設備屋さんとか、さ。
_______
10-30 04:10
cask
Yコンクリート、N設備ですな。どちらの物件も競売で買った方は大儲けですな。

私、週の半分以上は札内で寝泊りしてますよ。
_______
10-30 05:41
市川 秀一
>cask さま
 Yコン? Fコンでは? 札内ネタは明日早朝アップ予定。現在メモ帳に仕込み中。
_______
10-30 12:55
cask
すみません、Fコンと書いたつもりがYコンと書き込んでました(;´Д`)

設備屋の方は悲惨でしたが、ホテルは内木グループに従業員そのまま採用ではなかったでしょうか?
_______
10-30 13:15
市川 秀一
>cask さま
 そう、P観光は不渡りも出したかどうか。P観光の社員以外はまさに巻き添えを喰わされた結果となりました。

 しかし、週の半分以上は札内に寝泊りって、一体?
_______
10-30 14:02
cask
ワタシ、デモドリッポイジョウタイデス!

ジッカガサツナイデス
_______
10-30 20:45
市川 秀一
>cask さま
 ナルホド。リョーカイデス。
_______
11-02 21:39
空 @plala.or.jp
えええ?
あのガラスのピラミッドももうないんですか?

(物凄く遅い反応で申し訳ありません…)
_______
11-04 22:07
市川 秀一
>空 さま
 もう消えてしまいました。まさに強者どもが夢の跡、でございましてね。来春あるいはワタシがブログを停止する前には、ソコの創作をアップしませう。
_______
11-05 21:01
空 @plala.or.jp
おりょ?
来春、あるいはブログ停止って…。
また目の前から消えてしまうのでしょうか?
さみち(笑)
_______
11-06 07:20
市川 秀一
>空 さま
 可能性はあります。そしてそれは本人にも予想がつかない。
_______
11-22 20:05
cask
市川様
過去にコミュニティーアイに夢プラザのネタ書いてるじゃないですか(;´∀`)
サンルーフ付きのゴルフですな
_______
11-23 08:29
市川 秀一
 あまりにコメントが多く、ここでレスしとかんと後がツライのが目に見えてますんで、こそこそとレスします。

>cask さま
 失われた街角シリーズは、コミュニティアイ誌上で連載していた、メモリアル・ストリート・ファイルからの転載。著作権はワタシにあるからして。

 サンルーフ付きゴルフは見積もりだけしてもらったことがあります。六花亭のお菓子詰め合わせいただきました。買う気は全然なし。

 結局買ったのはホンダ・ビガー。カー・オブ・ザ・イヤー獲った、アコードの兄弟車種。10年乗って、アボーンしました。
  
Posted by きむらまどか at 11:29Comments(0)創作・失われた街角

2012年01月19日

’90『お多福』(和菓子店)/帯広ノスタルジックの至宝

2006年10月14日(土) 05:57 ▼コメント:35件


 帯広市西1条南9丁目16山本時計店南半分が、幸福の跡





 その団子屋は、生まれた頃からあった。中心街の存在が、今とは全然ありがたみが違った時代だ。藤丸が今の北洋銀行帯広中央支店のビルで営業していた頃だ。ロケットみたいな突端の、ナショナルの大きな看板が据付けられた屋上には、ミニ遊園地があった。

 藤丸や金市館、サニーデパートで、買い物やウィンドーショッピング、帰りに、お多福に寄る。この流れは、当時の帯広市民なら一度は、いや数回は体験しているはずだ。店の半分をショウウィンドウを置いた小売、残りをデコラのテーブルと朱色ビニール貼りドーナツ椅子の喫茶に当てていた。

 喫茶では、大きな白い給湯機で番茶を飲むことができた。蛇口からお茶が出てくるのが珍しくて、何度もお替りした。そして、お団子か、おはぎを食べるわけだ。母が勘定をしていたから、当時の値段は記憶はない。想像するに、団子を四、五本食べて百円するかしなかったくらいだろう。

 小学校の高学年ともなれば、男の子は親と買い物に出たりしなくなる。男の子同士で、団子を食べる、という感性は、さすがに渋過ぎて、喫茶を利用することはなくなった。でも、お土産で戴いたりしたものを喜んで食べていた。お多福とささやかな幸福は、いつも隣合わせで、ボクの中に存在していたように思う。

 お多福といえば、つり銭が印象的だった。紙幣も硬貨もいつも新品。用意する銀行は大変であったろう。お客様に気持ち良く、受け取ってもらいたい、という心意気。年に一回をチャリティーに当て、団子のセットを格安で販売して、どこかに寄付していた。店が続いているのは、世の中のお陰。その感謝の気持ちをどう表現するか。顧客満足なんて言葉が一般的じゃなかった時代から、あんな小さな店で実践していたことに驚く。企業の価値は規模じゃない、経営者の感性だとつくづく納得させられる。

 仕事で一年ほど、毎週お多福に通った時期があった。店舗から事務所へと上がる階段を、いつもけたたましく昇っていくボクは、従業員からカミナリ小僧と呼ばれていた。一通りの作業を終えると、あの番茶と何か一品。焼き団子だったり、すあまだったり。暑い日には、これも名物だったソフトクリームが銀の台に載せられて出てきた。子供の頃の気分が蘇って、やっぱり幸福な心持ちになってしまったものだった。

 ご主人と奥様は、カミナリ小僧にとても親切で優しかった。それは、出入り業者誰に対しても同様であった。特に奥様はいつも笑顔を絶やさず、控えめで癒されたものだ。世間は、商売人が成功すると、それまでの苦労など無かったかのように誉めそやす。けれど、あの笑顔は商売繁盛で笑いが止まらない表情とは全く違う。人一倍、悩んで、苦労して、感謝し続けて、やっと出る笑顔だとボクは感じていた。

 基本的には優しいご主人ではあったけれど、未熟で不躾なボクは、何度か叱られた。細かいことで注意を受けたことは、ない。人間として、社会人として足りない部分を補っていただいた、と感謝している。

 一番堪えたのは、担当をはずれてしばらく経ってからのことだ。結婚式の数日前、わざわざ職場に奥様が見えられて、お祝いを渡された。以前、妻になる予定の人を店に連れて行ったことも関係しているのかも知れない。新しい担当から予定日を訊きつけ、足を運んでくださったのだ。

 新婚旅行で訪れた南の島で、お土産に蟹を模った木彫りの灰皿を選んだ。愛煙家だったご主人のことを念頭に置いていたわけだ。
 帰国してから、すぐご挨拶に行くのが順当な行為。ところがボクはそうしなかったばかりか、ご主人が煙草を止められた事実を知ってしまって、余計身動きが取れなくなってしまった。

 禁煙してしまった人に、灰皿を届けてしまっても、それはただの間抜けな行為。知らなかったのだから、笑って済ませくれる。けれど、お祝いを戴くだけいただいて、お返しをしない、というのは義理を欠く行為。重みが全然違う。

 全てはものぐさで、ええかっこしいの自分が招いてしまった事態。それから何度か会うことがあっても、ご主人はあえてそれを指摘はしなかった。それがまた、ボクの胸を刺す。新婚旅行の想い出の品とともに、渡せなかった蟹の灰皿は今も家に置いたままだ。あれからもう、十五年過ぎる。

 お多福は惜しまれつつ、中心街から消えてしまった。でもその味は、今でも福いち が守っている。そのうち、福いちしか知らない世代が帯広の中心となってしまうのだろう。それは、それで喜ばしい。

 けれど、ボクは死ぬまで言い続けるだろう。お多福が、皆を幸せにしてくれた、と。
(了)

 あとがき

 東光園、みた村、お多福、北野屋が西三条九丁目東仲に存在したことを記憶しているのは、四十代以上の世代に限られるでしょう。


コメント(35件)

10-14 06:00
市川 秀一
 さ、旬のうちにどんどん出してしまいましょう。ワタシはこれから登別第一滝本へ出掛けてしまうので、レスできませんが、お気軽にコメントお願いします。帰宅後必ずレス致します。

 こうカキコすると大抵、全然コメントつかないんだよなぁ。土日だしなぁ。
_______
10-14 07:24
ひまり
なつかしい。。。お多福って昔(高校生のころ)学校帰りによくお団子買って食べてました。。。10年位前はまだありましたよね?(西三条九丁目東仲に?)

登別第一滝本いってらっしゃ~い♪
_______
10-14 09:54
いくぽん @plala.or.jp
去年まで「あたらしくなった」みたむらの裏に
住んでました・・・。
_______
10-14 10:42
タカハシ
市川さん、ありがとう。
おかげで「3丁目の夕日」へタイムスリップしました。
セピア色の昔が目の前を覆い尽くし蘇る過去の記憶。

藤丸の屋上遊園地。
そこへ行くために階段を利用すると途中にジュースの
自動販売機があって、紙コップを引き抜き指定の場所
に置くと流れ落ちてくるやつ・・・懐かしい。

ジュースといえば粉末しか知らない貧しい子供時代の
自分にはそれがなによりも楽しみで・・・
七夕祭り・お盆の時期は豊頃の山奥からボンネットバス
に乗り、綺麗?な車掌さんに数十円を払いワクワク
しながら『大都市帯広』へ・・・・わ~ん(涙)
_______
10-14 10:47
タカハシ
話がぶっ飛ぶけど「チロリン村」って古い飲み屋街・・
まだあるのかな?・・あぁぁ死期が近いのかなぁ(汗)
_______
10-14 13:48
cask
>>タカハシ様
チロリン村は健在でございます。
建物は以前より小さくなったので店舗数も少なくなりましたが、流行ってる店もありますよ。私も1店のみよく行きます。

>>市川様
お気をつけていってらっしゃいませ!

お多福ナツカシス。山本時計店の横でしたよね。2週に1回は家にありました。母が大好きでね。みた村もありましたね。
少し北に行けばあざみ食道。
そんな私は34歳。
_______
10-14 16:37
千絵蔵[URL] @unknown
お多福・・・。

弟と母と金市館に言って三人でお団子食べた。
まだ市営住宅に住んでて、帯広の町も近かった。

小学生前に大○団地に引っ越して、お多福から遠くなったけど、成人して自由にお金を使えるようになったとき一番最初に探したのはお多福だったなあ。

お団子は日本人が遺伝子に持つ何かを起こすように香ばしいにおいを運んでくる。





・・・こっちではだんごのたかのでたまに食べてます。(`▽´)ケケケ
_______
10-14 16:55
タカハシ
>caskさん、ありがとう。

チロリン村まだあるんだぁ(驚)
約30年近く前だけど彼女と通ったなぁ・・・
もう建物は傾きかけて通路の途中には丸見えのトイレが
あって、そこを通る時のあの独特の臭い・・・・

そっかぁ~また行ってみたい気分になった。♪
_______
10-14 17:02
十勝っ子 @ocn.ne.jp
小さい頃母の手に引かれおた福へお団子を買いに行った記憶を思い出しました・・・・。
夏にはカキ氷もありましたよね??
_______
10-14 19:20
bonnhaha
肉まんを初めて食べたのが、お多福でした。

早食い競争友人としました。

金市館なんて、すっかり忘れていましたね。
しかし、私の中での藤丸は、その前の今の藤丸の場所。
子どもの頃はすごく広く感じましたが、今の藤丸の何分の一だったのかしら。
_______
10-14 19:22
ミクロスゾーンたっかめ
私の友達で、就職試験にお多福と、インデアンのことを書いて合格したヤツがいます。
青春です。(゜ー^d)グッ!
_______
10-14 21:28
maikyon
昔はステキなお店がありましたね。

ななみちゃんに出てくる大家さんのお店みたいに、美味しい大福が食べたいです。
_______
10-14 21:45
みっき-
サニーデパート懐かしい(笑)
_______
10-14 22:10
二郎onTERANO
高校生のころ学校帰りに仲間(男子)と毎日のように、とある喫茶店にしけこんで20歳からの嗜好品をくゆらせていました。
でもある日ひょんなことから2-2で帰ることになり、女子の提案でお多福に行くことになりました。
母親に連れられて買い物には行ったことがあるのですが中には入ったことがなく、その日初めて中に入りそこで串団子を食べました。お茶は給湯器のような大きなもので蛇口をひねって湯飲みについで飲んだと思います。
そんな些細なことが、いつも大人ぶって喫茶店に行っていたことより、ここで串団子を食べたことのほうが大人だなあと感じた、そんな記憶があります。
と、言っても、もうやや30年前のことですが・・・
今では、サニーデパートと言っては笑われ、ニチイと言っては笑われています。
_______
10-14 22:28
タカハシ
>市川さん、けっこうなレスだよう♪
_______
10-14 22:49
二郎onTERANO
高校生のころよく行っていて、街からなくなった(移転した)店

マスヤの前のインデアン
ふじもりの横のインデアン
パリ
柳月
駅前にあった北京亭
雀Qのフジ
三条会館

みうらや
ヨーカ堂とその地階のピノキオとサンフリアン
帯広駅2階ドリームランド
帯広駅地階たこやきコーナー
デーリークイーン
札幌軒
スタッグ
赤い窓
田村書店(本店・サニー店)
信正堂書店

どれも懐かしいですね、それぞれに思い出があります。
_______
10-15 05:56
kaduriye[URL] @asahi-net.or.jp
みた村も良かったよね~。
学校帰りのお多福も良かったなぁ…しみじみ…
_______
10-15 22:32
市川 秀一
 ええっと想像以上のコメントに驚きと喜びを隠せませぬ。Thank you,friennds.
 昨日は土曜にも関わらず、455アクセス。題名の勝利か。
_______
10-15 22:33
市川 秀一
>ひまり さま
 10年前ですか。正確な記憶ではありませんが閉店間際だったかも。若いひまりさまと記憶を共有できるというのは幸甚なこと。

>いくぽん さま
 へぇ、そうなんですか。みた村さんは洋食の世界一出身だったかな、ドラゴンの方だったかな。

>タカハシ さま
 オレンジ・ジュースの自販、記憶しております。噴水みたいに噴き上げていたヤツですよね。ワタシが楽しみだったのは地下食品売り場のポテトチップス。カルビーが発売始める以前は、アソコで買うしかなかった。

 しかし、豊頃から半額とはいえ数十円ですか。時代を感じさせますね。

 現在はチロリン村よりも、西2条4丁目界隈のほうが昔の雰囲気が残っています。特に東側。「萬造」も近所のよしみで出没しているようです。西側に。

>cask さま
 チロリン村は、のみ亭と読みましたが如何。ワタシと年齢一回り近くも違うのに大人、でございますね。

>千絵蔵 さま
 お多福も福いちも注文を受けてから、餡をつける。早く召し上がってもらってこそ団子、が身上のようです。だから、どちらも店で味わえるようになっている。

 だんごのたかの、は如何でございますか。

>十勝っ子 さま
 かき氷、季節メニューで置いていたはず。夏場は通常の品揃えだと売上が減少するんですよ。その対策だったんですね、ソフトクリームとかき氷は。

 高まんも同様の理由で季節メニューかと。
_______
10-15 22:33
市川 秀一
>bonnhaha さま
 早喰い競争。舌、火傷しませんでしたかぁ。ワタシはコンビニの肉まんを5個いっぺんに食べたことがあります。

 ワタシにとっての現藤丸の場所は旧フジトモ(現OK)でしたね。並びに竹屋だったかな、パーラーなんとか、だったかな。そこでメロンスカッシュか何かを味わった記憶が。

>ミクロスゾーンたっかめ さま
 試験課題なんだったのでしょね。大学とか高校の定期試験では、美味しいカレーライスの作り方とかをびっちり書いた、という話は耳にしたことがあります。

>maikyon さま
 ななみちゃんは大福が好物なんですね。しかし、なんでそんなにBSキャラ、ななみちゃんがお好きなんでしょ。理解に苦しんでおります。

>ミッキ- さま
 サニーデパートの現オーナーは北の屋台の仕掛人様でございますよ。ご紹介いたしましょうか。

>二郎onTERANO さま
 まさに不良、でございますね。でもさすがの不良もお多福では煙草吸えませんでしたでしょう。そういう矜持を持っていましたね、あの店は。

 リストにあげられたうち3割程度はよくわかりません。特にギャンブルと喫茶は見当もつかないですね。

>kaduriye  さま
 列車通学の方々は結構ご利用度が高かったようですね。ワタシは真っ直ぐ帰宅部でしたからねぇ。
_______
10-16 07:10
市川 秀一
 昨日174アクセス。結構ヒッパレましたね。ふうむ。
_______
10-16 19:22
taka
>藤丸が今の北洋銀行帯広中央支店のビルで営業してい>た頃だ。

質問です、これって「藤友」のことでしょうか?
入ってすぐにエスカレーターがあった・・・。

小学生の私は毎週歯の治療で浦幌から帯広に通い、
「藤友」でナポリタンスパゲティを買った思い出が・・・。


ついでに当時の思い出としては「竹屋」のフルーツパーラー。
大すきだったなぁ・・・。

田村書店に行って「つけでお願いします」と小学6年生の本を出して、お姉さんに驚かれたり、
仏壇やさんに遊びに行ったり・・・。

私の西2条どおりの思い出です。
_______
10-16 21:42
cask
デイリークイーンありましたな。
藤森の前辺りにパチンコSUNってありませんでしたっけ??
学生時代に行った記憶が・・・
_______
10-16 21:48
taka
ディリークイーンのチョコソフトとキャラメルソフト
(通称、チョコソとキャラソ)は、
高校時代掛けの対称だったなぁ・・・。

もう1度食べたいよぉ~
_______
10-16 23:00
二郎onTERANO
>taka様
今の北洋BKが、藤丸デパートでして、
今の藤丸の南側入口広場あたりが、藤友(藤丸のスーパー部門今はOKです)でした。
そして、ナポリタンを食べたと思っているところは、藤丸の地下駐車場入り口当たりあった「パーラーふじ」だと思います。その2階に森歯科がありました。
今は藤丸の建物ひとつですが、金物屋さん・仏壇屋さん・お菓子屋さんなんかがあったように覚えています。

そうそう、「パーラーふじ」での思い出と言えば、小学校3年生にとき初めて熱々の鉄板プレートにのったナポリタンをそこで食べましたが、なぜかものすごいショックを受けた記憶があります。(何でかはわかりませんが・・・)
今でも鉄板プレートを使っているところってあるのかな?もしあったら前掛け着用して、口の周りをケッチャプだらけにして思いっきり食べてみたい。

>cask様
ありましたねSUN、その前はグランド太陽と言っていました。
_______
10-17 05:31
市川 秀一
>taka さま
 二郎onTERANOさまがコメントされている内容が完璧でございます。上でワタシがbonnhahaさまにレスしている通り。

 それよか、さすが「お嬢」でございますねぇ。

>cask さま
 デイリークィーン、カムバークという声はmixiでも出ておりますね。日本から完全撤退してしまった模様。

 パーラーSUNは釧路でも展開していたはず。帯広・きもののうすい、が別会社でやってました。末期は客よりも従業員の方が多かった。宝の島の時と同じでしたね。

>二郎onTERANO さま
 ワタシ以上に詳しくご記憶ですな。そうそう、パーラーふじ、でございました。竹屋でやっていたわけじゃない。

 藤丸はあくまで藤丸ビルのテナントなんですね。藤丸不振の影に、藤丸ビルの高家賃というウワサも。じゃあ、誰が美味しい思いされているのか。金物屋さんか?

 鉄板スパは幻想をはじめ色んなとこでやっていますが、ワタシのお勧めは札内中央町きりん亭でございます。価格も味も素晴らしい。是非大盛で。ミートもナポリもいけますよ。
_______
10-17 21:54
taka
二郎onTERANOさん、市川さんへ


そうか~、藤友は藤丸のスーパー部門だったんだ!!

あまりに子供だったので、全然わかっておりませんでした。そうですかそうですか・・・懐かしいです。
_______
10-17 22:38
市川 秀一
>takaお嬢 さま
 蛇足でございますが、現在OK(旧フジトモ)は別法人となっております。資本関係はどうなんでしょ、ないはず。

 それよか、大樹の焼肉屋。食べなくても旨いと確信できる店と出会いました。明日、アップ予定。乞うご期待。
_______
10-18 23:44
taka
お嬢でございま~す。
(出来れば、サザエさん風に読んでください)

現在のOKが旧藤友なんですね。

うぅう、絶対に行かなくちゃ♪

ところで、焼肉大すきなんです。
向こうにレスします。
_______
10-18 23:47
市川 秀一
>takaお嬢さま
 おさかなくわえたドラ猫、おおかけってぇー。でございます。

 しかし、みんな焼肉お好きなんですねぇ。
_______
10-18 23:50
市川 秀一
 あ、takaお嬢さま。ししゃもラーメンもご覧になってくださいまし。フードソムリエ、出してございます。
_______
10-19 15:46
千絵蔵[URL] @unknown
遅レスすいません。

だんごのたかのは、だんごやのFFですね。
お多福さんのような品はありませぬ。

埼玉はコメ産地のせいか最中の皮が非常に美味しいです。
最中だけは帯広の上を行きますね。とはいえあんは十勝産・・・。
_______
10-19 16:15
市川 秀一
>千絵蔵 さま
 8年ほど前でしたかね。麻布十番で鯛焼きだったか、おやきだったか、あんみつだったか。まぁ、甘味処の有名店を訪問。十勝産小豆使用の張り紙見た時は誇らしかったですね。

 地域、地域で得意分野があって当然。それを伸ばして、補い合って生きていきたいものですわね、穏かに。
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10-22 06:45
cask
カジノビルにコヨーホビーなかったっけ?

>>二郎様
パチンコサンでいいのね、グランド太陽、思い出したわ。広小路にパチンコ屋もあったはず。かなり昔。

>>市川様
希林亭、まさに昔ながらの喫茶店ですな。
今いくらするの?最近行ってないもんな。ただ飲食店店舗内でネコは反則ですな。

うすいさんですか、うすいさんって○専の理事長でしたっけ?根岸さんからかわりましたよね。
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10-22 07:06
市川 秀一
>cask さま
 うすいさん、はソコの理事長で正解です。遊戯業をしていたのは、○行総業という会社だったはず。

 そうそう、希林亭が正しい。ネコは難しいと思いますが。スパは全て400円前後でしたね、5年前で。大盛ダブルで食べたいよぉ。

 かじのビルにコーヨーホビーさんがあっても不思議ではありませんね。ワタシが印象に残っているのは、熱帯魚を置いていた
金廣ですね。一時期現在帯広の漆黒になっているところで営業していた記憶も。

 広小路のパチ店はわかんないなぁ。  
Posted by きむらまどか at 06:52Comments(0)創作・失われた街角

2012年01月18日

失われた街角/帯広’89『ルードボーイ』(レゲエズバー)

2006年10月13日(金) 06:57 ▼コメント:32件





 神無月の風にボブヘアーが揺れるのがわかる。狭い階段を上りながら、「ああ、なんだかなあ」という気分を抑えることができない。苦手っていうか、調子が出ないんだよね、このバーでは。相性が悪いってしか、表現しようがないな。
 初めて訪れたのは去年の夏だったか。就職のために帰省して、中学の同級生と飲んだ時だ。美容室勤めでチョンマゲヘヤーを気取っていたヤツは、周囲に馴染んでいた。ヤツにとってはくつろげる店で、だからこそ、ボクを連れていってくれたわけだ。

 でもねえ。ピチカートファイブがお気に入りのボクの耳にレゲエ・ミュージックはどうもダメ。ドレッドとトラッドは言葉は似てるけど、全然無関係で、キャラが違う。ジャマイカンにとっては、ドレッドがトラッドなのかもしれないけれど、ボクのトラッドはオックスフォードシャツだ。
 挙句の果てには、カウンターにいたのは中学時代の怖かった先輩。明星小から四中までは一緒。高校からが分かれ目で、先輩いわく「白樺中退、男稼業行きがエリートだ」

 だから、柏葉に入った時点でボクは落ちこぼれなのだ、と説教。結局先輩も白樺中退まではなんとかなったものの、男稼業行きまでは踏み切れず、同じ落ちこぼれだ、ということで乾杯したのだけれど。南商に通ってたチョンマゲは、ただ腹を抱えて笑っていたものだ。
 今日はあの時のシチュエーションとは違う。二浪して社会人一年目、二五歳のボクを連れてきたのは、四歳下の美佳。チョンマゲの高校の後輩で、ボクにとっては職場の先輩。美佳のサポート無しに職場ではにっちもさっちもいかない。そんな間柄。

 ワンレングスに白のピンキーアンドダイアンがお似合いの美佳。黒が基調の店内を意識した選択だったのかと勘ぐるくらい、映えている。
 実際、劇場をイメージさせる造りの階段フロアを上がっていく美佳の後姿を客やら店員やら『無礼な野郎(ルード・ボーイ)』が不躾な視線で追っていた。一方ボクに対しては「レジメンタル小僧、消えな」との声無き声で、居づらいったら、ありゃしない。
 笑顔が素敵な女のコはどこだって、なんだって、許されてしまう。美佳だったら、今日みたいなボディコンシャスじゃなくて、上下スエットでも違和感ないかも知れないな。特にレゲエはルーズなイメージだし。

「どうしたのー。元気ないじゃなーい。盛り上げなさいよ、土曜の夜なんだし」席に着くなり、美佳は言う。
「はあ。なんか、ここの店苦手なんですよね。下が見えちゃうせいですかね」
 歳下であっても、先輩は先輩。体育会系じゃないけど、敬語使うことに違和感はない。当然の助動詞べしの世界だとボクは考えている。
 階段フロア上段から眺めると、最下部のバーカウンターまで結構な急傾斜。足元がフラついて、フロアから真逆様。勢い余って床ぶち破り、古本の海の中に漂う様を妄想する。『ルードボーイ』の一階部分は古本の春陽堂なのだ。
 ラスタカラーのラインが埋め込まれたテーブルに、キールロワイアルのグラスを置きながら美佳は遠くを見た。

「初めてカクテル飲んだのここなんだ」
「何飲んだか、憶えてます?」
「ふふ。カルア・ミルク。子供っぽいけど、定番でしょ。アンタ初めて飲んだの、憶えてる?」
「たぶん、今飲んでるのと同じ」
 ボクは、マティーニだった。初めてのも、去年も今も。成長がない。なんだか、美佳が眩しく見える。美佳に追いつくことはできるのだろうか。
「この二年半、かなり濃かった。ついこの前まで、制服着てクラリネット吹いてたのに」
「今は変なもの、吹いてんじゃないでしょうね」
 向うずねを思いっきり蹴られる。ちょっと、調子が出てきたのだろうか。
 今日は弾けてしまおうか。ボクはカルーアを瓶ごと注文した。
 三十分後、ボクは「カルーアマン!」と叫びながら、店内を駆け巡り、結局階段フロアを転げ落ちた。これは、美佳とボクの秘密だ。         (了)


コメント(32件)



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10-13 07:08 ---
ユーザーにより削除されました
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10-13 07:25
市川 秀一
 ↑のトラックバックもクリックしてくださいましね。現在のお店の状況です。

 失われた街角、は継続の予定です。帯広の閉店してしまったお店や閉鎖された施設を創作で綴ったもの。

 タウン誌に無償で連載していたんですが、読者の反応が悪いってことで、干されてしまいました。使い捨てでございましてね。原稿落としても、何にも言われませんでした。

 気に入らないなら、気に入らないって直接言ゃあ、いいんだよ。ああ、想い出すたびに、腹が立つ。 ご苦労さんの一言もなし。載せてやっていた、ということなんでしょうね、きっと。情けなくて、涙がでるわいっ!!!

 そんな、悪い作品でしょうかね。
_______
10-13 10:38
月水(ツキミ)
お酒をおぼえはじめた頃に会社の先輩に連れて行かれたお店です
その後も自主的に行く店ってよりも連れて行かれる店
上段の席でいろんなカクテルを味わったのを思い出しました
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10-13 11:04
市川 秀一
>月水(ツキミ) さま
 実はこのお店、一回しか行った記憶がない。うろ覚えやら、昔の雑誌を参考に書き上げた次第。リクエストがあれば、お応え出来るかもしれません。今後ともご贔屓に。
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10-13 11:30
みっき-
『ルードボーイ』いってました・・・・(笑)
友人が常連で帯広いったら ここで飲んで
それから・・・『ダブ?』とかいって狂ってました(笑)
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10-13 12:26
(株)ノブ
トラックバックありがとうございます。
タウン誌の反応が悪かったとは残念です。過去を垣間見れるいい作品だと思います。
BARnoise(バーノイズ)様の店内はレゲエ色は無く落ち着いた感じの装飾です。
ワンレン、ボディコン、時代の流れを感じますね。個人的にはボディコンは復活してもいいと強く思ってますが。
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10-13 12:50
市川 秀一
>みっき- さま
 ワタシ、遊び人ではございませんので、「ダブ」ですかぁ? ワカリマセン。恐らく濃いい店でワタシ如きが入店できる雰囲気ではないのでしょうね。

>㈱ノブ さま
 以前の連載の時から強く思っていました。誰かが書き残さないと歴史が人々の記憶から消え去ってしまうことが残念でならなかったのです。
 ボディコンは必ず復活するでしょうね。ハマトラが復活したように。
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10-13 13:39
千絵蔵[URL] @unknown
当時21歳か・・・。

会社と家を往復し、彼氏もいない青春でしたね。
・・・コメント欄でああ、あそこ?と思いましたが、当時夜の帯広っておじさん好みの店のほうが多かったような気がします。
ちなみに小父さんたちにはよく連れて行かれました。
←聞いてないって。
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10-13 13:47
cask
何度か行きました。バブリーな時代の中でのお店ですよね。今考えると現在のように色々なお酒も流通してる訳でもなく、現在のメンパブ程度のお酒を出してた訳です。

どちらかと言うとダブ・アンダー・ザ・グラウンドの方が行ってるかも。
ジャスマック東向かいの今はメンズエステ店になってる所の地下ですな。
ダブに通ってたのはもう、15年近く前の話でしょうか。当時大好きだった彼女と別れて(浮気がバレ振られるw)、一緒に遊んでた女友達と良くダブに行きました。あーナツカシス
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10-13 15:54
kabamaru_7 @plala.or.jp
>千絵蔵 さま
 思い出の扉を叩いてしまったようですね。当時のバブリーな紳士たちはどんなお店に連れていってくれたのでしょうか。お腹一杯、好い思いをされたのではなかろうかと。

>cask さま
 今考えると、決してレベルは高くなかったのでしょうね。時代はどんどん進んでおるということ。ですが、このお店、野球やバスケットといったスポーツに力を入れていた記憶があります。
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10-13 18:37
市川 秀一
 しかし、みなさま不良でございますねぇ。どうして、こんな注目度高いんでしょ。思わずクリックしてしまわれるのでしょうか。

 特にみっき-氏とcask氏。なんですか、爛れた女性関係を誇るためにダブ・アンダー・ザ・グラウンドなんか取り上げて。知らないワタシは悔しゅうございます。

 でも、あしあと見るとそうでもない。入り乱れてアチコチに寄っている。一番影響あったのは、モン・トレゾールを猫’mamaさんがお気に入り登録されたこと。

 コメントにも力入れてますから、再度来ると2度美味しいように、心がけておるわけですが。でも、誰もコメントされない場合はツライ。一人突っ込み一人ぼけにも限界ございますんで。

 さ、ツッコンデくださいまし。全身全霊でボケましょう。
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10-13 21:39
cask
不良ではありません、市川様こそブログの不良じゃーないですか(・∀・)ニヤニヤ

此処にコメント入れてる方は昔遊び人だったって事で間違いないでしょうか???
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10-13 23:04
月水(ツキミ)
私も不良ではありませんが
ダブのファイナルパーティー行きましたゾ
女ばかりで行って皆散らばって好き勝手に社交してて
たしか…私はビンのバドワイザーを何本も飲んでた記憶が…
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10-14 01:03
VW @dion.ne.jp
あ、あたし、結構通ってた。
あのお店もあたしが当時勤めていたお店も水曜日が定休日で、冬になると水曜日のサホロスキー場は、彼らグループとあたしたちの貸し切り状態だったわよ。
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10-14 05:04
市川 秀一
 単独で569アクセスとは市役所ネタ以外初めてでしょうね。ま、モン・トレゾールとわさび田も結構占めてますが。

>cask さま
 マイとかちの良心、と本人は確信しております。

>月水(つきみ) さま
 ビンのバドワイザーねぇ。自由が丘コートでテニスを楽しんでいる途中、友人とグルービーにお茶しに行ったんですよ。で友人が頼んだんですよ、ビンバド。

 そしたらさ、「栓抜きなんで持ってこないかな」って言ったんです。スクリューキャップなのに。そいつは現在市内で歯科を営んでおります。お茶目なヤツです。

 ダブで、ビンバド何本も空ける方が不良じゃないわけない、と断言いたしましょう。本人はどうあれ、世間様は甘くない。

>VW さま
 副委員長さまの御降臨恐縮でございます。あぁねぇ。当時のボード状況は如何でございました。ボーダーとルードボーイズの印象はワタシにとって紙一重でございます。
_______
10-14 13:55
cask
登別いいなー!
貧乏人の私に土、日はありませぬ(;´Д`)

帰ってきたら登別の報告御願いします
_______
10-14 21:49
二郎onTERANO
高校の同級生(♂)が働いていると聞いて、一度だけ行ったことがあります。
階段状の店だったような気がします。
雰囲気になじめず、早々に失礼しました。
_______
10-15 00:08
VW @dion.ne.jp

如何といわれてもなー。スキーの方が断然多い時代だったはず。
で、お店の方はレゲエというよりユーロビートが多かったような…。
_______
10-15 02:36
千絵蔵[URL] @unknown
連レスすみません。

いい思いしたのかなあ?
小父さんっていっても、自分の父親より上の人ばかりだった・・・。
そういえば、フィリピン女性のキャバレーに行ったのは面白かった!

しかし若者とはあまり酒席もありませんでした。(TT)
_______
10-15 20:35
市川 秀一
>cask さま
 スポンサーがいるんですよ、スポンサーが。登別行きでネタいくつか仕入れて参りました。帯広ネタも準備中のがあるんですが、来週以降になりそうです。

>二郎onTERANO さま
 そう、アソコの店は客を選びましたね。ワタシもハジかれたクチです。

>VW さま
 あら、そうなの。何かに迎合してしまったのでしょうね。レゲエは民族音楽みたいなものですが、ユーロビートはハヤリものですからねぇ。

>千絵蔵 さま
 何度突っ込んでも、ボケても結構毛だらけ猫灰だらけでございます。

 ジジイキラーの異名をとっていたのですね。札びらには若者も勝てなかったか。結局ワタシ、フィリピン系には行く機会に恵まれなかったなぁ。
_______
10-15 22:53
千絵蔵[URL] @unknown
違うちがーう!!
くどいようだけど、「連れて行って~♪」とは言ったことはないのです。
「さ、いくぞ!」てなもんや三度笠で連れて行ってくれる人が殆ど小父様だったです(TT)。

飲みにいくよりそのあとに期待したかったのに・・・(TT)号泣。
_______
10-15 22:57
市川 秀一
>千絵蔵 さま
 泣くな~。ダイエットの相手してくれる御夫君がいらっしゃるじゃーないか。ウハハハハハハ。
_______
10-16 21:45
cask
昨日、凄くマイナーな場所のバー?に行きました。
入ると、汚いw しかし、酒はホコリまみれ、しかし、唯一いけそうな、サンヴィヴァンがありました。
マスターは何だかわかってない様子。アルマニャックの私の好きな銘柄だったんですね。
2人でショットで8杯くらいずつ飲んで、2人で6000円。どんな会計なんだ!まぁ、安くて驚いたわけですが。
また行こうと思ってます。是非どうですか
_______
10-17 04:45
市川 秀一
>cask さま
 8杯づつ呑むのも凄いですが、6千円という勘定もすげえ。一体どうなってんでしょ。マイナーな場所って、どこらへんでしょうか。おっかなそうな場所だ。
_______
10-17 06:46
cask
オッハヨー(ノ゜Д゜)
だー・かー・らー・何時かの日曜に一緒にいきませう!
私もオッカナビックリに入ったわけですよ(;・∀・)

残りのサンヴィヴァン空けましょうYO!
_______
10-17 07:01
市川 秀一
>cask さま
 日曜でございますか。ワタシ基本は22時就寝なんですが。
_______
10-17 07:06
cask
じゃあ、それであわせますが。21時30分にはタクシーに乗せますが(・∀・)ニヤニヤ
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10-18 13:46
市川 秀一
>cask さま
 あれ、何故かcaskさまのコメント通知を見逃していたようです。今月は大人しくしていなければならない事情が生じましたんで、来月のお誘いをお待ちいたしております。お味噌もその時に。
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10-18 20:28
cask
ヲ、ついにマニアック同士が飲める機会をが(・∀・)ニヤニヤ

味噌は奥様に渡して下さいよ。
_______
10-18 21:30
市川 秀一
>cask さま
 マニアックを期待されると困ります。ワタシ、浅学浅漬けの素みたいなヤカラでございます。
_______
10-19 05:05
cask
いや、良いと思います。色々教えていただきたい。
9教えて貰って、1教えます!

仮に、例え浅漬けでも幅の広さは市川様ならです。
_______
10-19 06:41
市川 秀一
>cask さま
 ワタシはただのお節介野郎ですね。  
Posted by きむらまどか at 22:34Comments(0)創作・失われた街角