2012年03月01日
勝毎アンソロジー落選作/『端野萬造奔(はし)る』上
2007年1月21日(日) 07:45 ▼コメント:8件

『端野萬造奔る』(上)
いつも通りに萬造は事務所兼自宅のご不浄掃除をしていた。朝一番の欠かせない仕事だ。積雪こそまだだが、十一月も晦日ともなれば、帯広での外出には手袋が有難い気候だ。しかし狭い空間に電熱式ヒイタアを設置したので、此処は暖かい。ご不浄が寒いと何かと心配な年齢である。四拾を過ぎて、少し健康に気遣うようになった。一人暮らしでは、何か起こると対応できぬ。
便器と床の隙間に、どういうわけか薄茶色の染みが着く。トイレットペイパーで拭き取るのだが、便器の奥側は手を相当伸ばさないと届かない。習慣で口をへの字にしながら、指先に力を込めた刹那、黒電話が鳴り響いた。
まだ午前八時になっていない。こんな時間に電話を掛けてくる人物は、番号表示機の助けを借りなくても判る。別れた妻の父親、兼生(かねお)だろう。
「はい。端野萬造事務所端野でございます」
「おおぅ、端野君。今日な、会社に来てくれんか。急ぎなんだ。頼まれてくれんか」
萬造は事務所の清掃もそこそこにして、兼生の会社に出掛けることにした。気の短い兼生には迅速な対応が一番、ということをよく知っているからだ。背広に着替え、父の形見のバーバリィコオトを羽織った。袖が擦り切れかけている。
父と兼生は業種こそ異なれど、同じ経営者仲間でウマがあった。そんな縁で信用金庫勤めの萬造と広告代理店のデザイナーだった元妻は知り合って結婚に至ったわけだ。
父が亡くなって、ガソリンスタンドを手広く営む会社を大手企業に売り払うことにしたのは専務だった母だ。萬造が経営者には向かないことを知っていて、社員のためにそうした。一方、萬造と元妻の関係は七年間で破綻した。一粒種の息子は元妻と札幌で暮らしている。萬造は独立し、事務所を開いた。
兼生の会社の社長室には通い慣れている。案内を請わず、扉の開け放たれた部屋の入り口の前で一礼する。
「端野萬造事務所、端野萬造でございます。失礼いたします」大声で言ってから、兼生の前まで歩を進めた。
「おおぅ。来たか。どうやって来た」相好を崩しながら、ハイライトの煙をくゆらせている。
「乗合バスで参りましたよ。丁度いい時間のがございまして」ソファに腰掛ながら答える。
寒くなければ、自転車で訪問しただろう。萬造は自家用車を持たない。それを知っていて兼生は尋ねたのだ。兼生の会社は帯広市郊外、工業団地の一角にある。萬造の事務所から自転車で、弐拾五分程度の距離だった。
「ところで、相談なんだがな」口元を引き締めて、兼生は語り始めた。ヤニの匂いが鼻につく。愛煙家だった父の記憶が重なった。
内容は意外なことに輓曳競馬のことだった。旭川、岩見沢、北見、帯広の各競馬場で行われてきたが、参拾億円の累積債務が経営に思い影を射していることを萬造も承知していた。
旭川と北見が今年度限りで撤退を表明。帯広は岩見沢との二市開催を条件に継続を提案。しかし岩見沢市長が十一月弐五日に撤退の決断を帯広市長に伝えたことで、輓曳競馬の事実上の廃止が決定した、と報道されていた。
趣味は読書とパチンコの兼生だった。その兼生が輓曳競馬を存続するためのアイデアを出せという。何百頭もの輓馬を九州に送って桜肉にしてしまうのは偲びない、と言うのだ。
帯広市長の有力後援者として兼生は名を連ねていた。存続について、確かに市長は収支均衡が最低条件で、民間企業の参入など条件が変われば検討の可能性があるとしていた。だから、ワシの提案は無駄にならないハズ、と兼生は自信ありげに萬造を見つめた。
輓曳競馬には、ほとんど興味がなかった。競馬場に入ったことすらない。不安が胸をよぎる。
十二月二日。依頼を受けた翌々日に萬造は帯広競馬場の開門を待っている。二日間、酒も呑まずに萬造は輓曳競馬について調査した。新聞記事を読み込み、インタアネットで検索しまくった。一般に輓曳競馬、と呼ばれているものは、競馬法によれば、ばんえい競走という表記であるとか。
その結果、やはり現場に行かなければ結論は出せない、という当たり前の事実に至って、競馬場までやってきたわけだ。経営改善の心得第一条は「改善の神は現場に宿る」である。
晴天ではあったが寒さが身に染みるのを予想して、萬造は股引をジイパンの下に着用し、毛糸の靴下を履いた。帯広川に程近い、西弐条通にある煉瓦造り築八拾年の自宅兼事務所から、自転車なら拾分程度の距離に帯広競馬場は位置している。
開幕の日。しかも最後の開幕になる観測が流れているせいか、報道陣が待ち受ける人々にキャメラやマイクロフォンを向けていた。顔を写されて平気なのだろうか、と萬造は余計な心配をする。
初老の男性が圧倒的に多い。明け透けなもの言いが耳に入る。いわく「なんで、初日に入場料取るんだよぉ。こんなとこでケチケチするから、客が減るンだよぉ」、「農協連はカネあんだから、出してやればイイんだ」、「いままで、オレたちからムシった分は、ドコいったんだ」。
廃止について、手当たり次第に怒りを燃やしている。初日に並んでまで待っているフアンなんだから、無理もないところだ。
原稿依頼の報酬は、弐拾萬円と言われていた。兼生にしてみれば、パチンコで遊ぶ予算の四回分に過ぎない。だが、萬造にしてみると大きな金額だ。壱箇月分の相談料が、この金額に満たない月のほうが多い。一回参阡円の相談料だと、七拾件近くの相談がこなければ、この金額に満たない。毎日四件の相談をこなさなければ、弐拾萬円に届かない。
厚着をしたつもりではあったが、気付くと萬造は足踏みをしていた。スニイカアが砂を噛んで乾いた音を立て続けている。初冬晴天の帯広の空気はどこまでも澄みきって、それだけは誰に対しても平等だった。
元妻と離婚した後も、兼生は何かと気に掛けてくれていた。自分自身が妻を早くに亡くしていたことと関係があるのかも知れない。それにしても、自分の娘と離婚した元婿を呑みに連れ歩く父親など、余り多くはあるまい。
今回の相談も、面倒を看ているつもりであることを萬造は知っている。そして、それを甘んじて受けることにしている。そうすれば、兼生は満足なのだから。
午前九時四拾分の定刻通りに開門して、萬造は初めて帯広競馬場の場内に足を踏み入れた。騎手とおぼしき男たちが整列して挨拶しているのに驚き、想像よりも拡い空間であることに驚き、スタンド内に児童遊戯室が用意されているのに驚いた。観るもの聞くもの、みな珍しく萬造は興奮した。
(やはり、現場を確認して良かった)
中央通路で馬券購入の用紙を手に萬造が唸っている眼の前を、お付を従えた市長が通り過ぎる。萬造は朝一番で来た理由を憶いだした。市長が開幕宣言で何を言うか、を直接聞きたかったのだ。それによっては、論旨を変更する必要もあるのだから。
しかし、今は馬券だ。刻々と表示される掛け率を基に考えた挙句は馬番連勝で、壱―壱拾、壱―四、四―壱拾、壱―参、参―壱拾である。それぞれ弐百円ずつ賭けて、壱阡円。これは萬造の壱回分の相談料参分の壱にあたるわけだから、あだや疎かに出来ない。
相談を持ち掛けてくる度に兼生は、相場では不相応な報酬を支払ってくれる。だが、萬造は黙って受け取っていながら、その金をすべて息子に送金していた。元妻には「お父さまから、預かった」とだけ連絡していた。
それを元妻がどのように兼生に連絡しているか、萬造は関知しない。けれども兼生自身、それを承知した上で萬造に支払ってくれているのでは、という思いもある。
市長の開幕宣言を取材するべく、報道各社がメインスタンド前に並んでいた。その列の後方中央に萬造も陣取り、腕組みをする。後方で「輓曳競馬廃止断固反対!」の幕を用意したフアンの集団が取材を受けているのが眼に入る。
(下に続く)
コメント(8件)
01-21 12:27
いくぽん @plala.or.jp
ここまで、1作目同様、止まらずスムーズに
読めました。
人情がらみではないとの予告通り、
市川さんスタイルの「淡々とした」文章ですね。
早く続き~(・▽・)
01-21 13:18
みっき-
つづきがほしいです・・・・♪
01-21 19:08
cask
未だうpされてませんな。
過去記事と被りながら読んでます。
01-21 22:09
市川 秀一
>いくぽんさま
>みっき-さま
>caskさま
もっと勿体ぶりたかったのですが、興味を失われないウチにアップしたほうがよさげですね。
01-22 15:48
cask
選考委員のs様
高校時代にセンセとして居た気が・・・
01-22 19:41
市川 秀一
>caskさま
ヘェェ。ま、その先生が誉めていたものを中心にお読みになられては如何でしょうか。
01-23 01:29
cask
直接習ってないんでね。ちょっと変わった名前の先生でした。
01-23 06:13
市川 秀一
>caskさま
午前中随分勢いよいアクセスが伸びたので900固いかな、と。それが800届かずですよ。夜にはいってから、全然伸びませんでした。
きつい批評、と受け止めております。
本日(1/21)の十勝毎日新聞に第24回郷土作家アンソロジーの選者講評と最優秀作品が掲載されますでしょう。興味のある方は、是非ソチラもご覧になってくださいませ。
なんせ、落選作でございますから、講評に取り上げられている可能性はほとんどないとは思います。けれど、萬造の文字があったら、例え酷評であったとしても、有難い。(←黙殺というか、論評に値せず、という評価でしたね。)
マイとかちでブログを始めてよかったな、というのは今回のような場合ですね。入選作はとりあえず公開してもらえるワケですよ。でも、落ちちゃうと誰にも読んでもらえない、という悲しさ。
それが解消されるだけでも、素晴らしい。作品に対する供養になるわけです。
試しに2回に分けて公開してみましょう。「続き」の公開はアクセス数やコメントを動きを見て考えましょう。これやって、次のアクセスが大幅減少っていうの、結構キツイ批評になるんだよなぁ。
ほんとはね、入選して掲載予定日の前日に、この記事アップする企画だったのよ。そして続きは勝毎本紙でドウゾ、というような。で、普段勝毎購入していない層がコンビニなんかで買ってきて読む。
なんて展開が理想だったのだけどなぁ。見事に企画倒れしてしまいました。

『端野萬造奔る』(上)
いつも通りに萬造は事務所兼自宅のご不浄掃除をしていた。朝一番の欠かせない仕事だ。積雪こそまだだが、十一月も晦日ともなれば、帯広での外出には手袋が有難い気候だ。しかし狭い空間に電熱式ヒイタアを設置したので、此処は暖かい。ご不浄が寒いと何かと心配な年齢である。四拾を過ぎて、少し健康に気遣うようになった。一人暮らしでは、何か起こると対応できぬ。
便器と床の隙間に、どういうわけか薄茶色の染みが着く。トイレットペイパーで拭き取るのだが、便器の奥側は手を相当伸ばさないと届かない。習慣で口をへの字にしながら、指先に力を込めた刹那、黒電話が鳴り響いた。
まだ午前八時になっていない。こんな時間に電話を掛けてくる人物は、番号表示機の助けを借りなくても判る。別れた妻の父親、兼生(かねお)だろう。
「はい。端野萬造事務所端野でございます」
「おおぅ、端野君。今日な、会社に来てくれんか。急ぎなんだ。頼まれてくれんか」
萬造は事務所の清掃もそこそこにして、兼生の会社に出掛けることにした。気の短い兼生には迅速な対応が一番、ということをよく知っているからだ。背広に着替え、父の形見のバーバリィコオトを羽織った。袖が擦り切れかけている。
父と兼生は業種こそ異なれど、同じ経営者仲間でウマがあった。そんな縁で信用金庫勤めの萬造と広告代理店のデザイナーだった元妻は知り合って結婚に至ったわけだ。
父が亡くなって、ガソリンスタンドを手広く営む会社を大手企業に売り払うことにしたのは専務だった母だ。萬造が経営者には向かないことを知っていて、社員のためにそうした。一方、萬造と元妻の関係は七年間で破綻した。一粒種の息子は元妻と札幌で暮らしている。萬造は独立し、事務所を開いた。
兼生の会社の社長室には通い慣れている。案内を請わず、扉の開け放たれた部屋の入り口の前で一礼する。
「端野萬造事務所、端野萬造でございます。失礼いたします」大声で言ってから、兼生の前まで歩を進めた。
「おおぅ。来たか。どうやって来た」相好を崩しながら、ハイライトの煙をくゆらせている。
「乗合バスで参りましたよ。丁度いい時間のがございまして」ソファに腰掛ながら答える。
寒くなければ、自転車で訪問しただろう。萬造は自家用車を持たない。それを知っていて兼生は尋ねたのだ。兼生の会社は帯広市郊外、工業団地の一角にある。萬造の事務所から自転車で、弐拾五分程度の距離だった。
「ところで、相談なんだがな」口元を引き締めて、兼生は語り始めた。ヤニの匂いが鼻につく。愛煙家だった父の記憶が重なった。
内容は意外なことに輓曳競馬のことだった。旭川、岩見沢、北見、帯広の各競馬場で行われてきたが、参拾億円の累積債務が経営に思い影を射していることを萬造も承知していた。
旭川と北見が今年度限りで撤退を表明。帯広は岩見沢との二市開催を条件に継続を提案。しかし岩見沢市長が十一月弐五日に撤退の決断を帯広市長に伝えたことで、輓曳競馬の事実上の廃止が決定した、と報道されていた。
趣味は読書とパチンコの兼生だった。その兼生が輓曳競馬を存続するためのアイデアを出せという。何百頭もの輓馬を九州に送って桜肉にしてしまうのは偲びない、と言うのだ。
帯広市長の有力後援者として兼生は名を連ねていた。存続について、確かに市長は収支均衡が最低条件で、民間企業の参入など条件が変われば検討の可能性があるとしていた。だから、ワシの提案は無駄にならないハズ、と兼生は自信ありげに萬造を見つめた。
輓曳競馬には、ほとんど興味がなかった。競馬場に入ったことすらない。不安が胸をよぎる。
十二月二日。依頼を受けた翌々日に萬造は帯広競馬場の開門を待っている。二日間、酒も呑まずに萬造は輓曳競馬について調査した。新聞記事を読み込み、インタアネットで検索しまくった。一般に輓曳競馬、と呼ばれているものは、競馬法によれば、ばんえい競走という表記であるとか。
その結果、やはり現場に行かなければ結論は出せない、という当たり前の事実に至って、競馬場までやってきたわけだ。経営改善の心得第一条は「改善の神は現場に宿る」である。
晴天ではあったが寒さが身に染みるのを予想して、萬造は股引をジイパンの下に着用し、毛糸の靴下を履いた。帯広川に程近い、西弐条通にある煉瓦造り築八拾年の自宅兼事務所から、自転車なら拾分程度の距離に帯広競馬場は位置している。
開幕の日。しかも最後の開幕になる観測が流れているせいか、報道陣が待ち受ける人々にキャメラやマイクロフォンを向けていた。顔を写されて平気なのだろうか、と萬造は余計な心配をする。
初老の男性が圧倒的に多い。明け透けなもの言いが耳に入る。いわく「なんで、初日に入場料取るんだよぉ。こんなとこでケチケチするから、客が減るンだよぉ」、「農協連はカネあんだから、出してやればイイんだ」、「いままで、オレたちからムシった分は、ドコいったんだ」。
廃止について、手当たり次第に怒りを燃やしている。初日に並んでまで待っているフアンなんだから、無理もないところだ。
原稿依頼の報酬は、弐拾萬円と言われていた。兼生にしてみれば、パチンコで遊ぶ予算の四回分に過ぎない。だが、萬造にしてみると大きな金額だ。壱箇月分の相談料が、この金額に満たない月のほうが多い。一回参阡円の相談料だと、七拾件近くの相談がこなければ、この金額に満たない。毎日四件の相談をこなさなければ、弐拾萬円に届かない。
厚着をしたつもりではあったが、気付くと萬造は足踏みをしていた。スニイカアが砂を噛んで乾いた音を立て続けている。初冬晴天の帯広の空気はどこまでも澄みきって、それだけは誰に対しても平等だった。
元妻と離婚した後も、兼生は何かと気に掛けてくれていた。自分自身が妻を早くに亡くしていたことと関係があるのかも知れない。それにしても、自分の娘と離婚した元婿を呑みに連れ歩く父親など、余り多くはあるまい。
今回の相談も、面倒を看ているつもりであることを萬造は知っている。そして、それを甘んじて受けることにしている。そうすれば、兼生は満足なのだから。
午前九時四拾分の定刻通りに開門して、萬造は初めて帯広競馬場の場内に足を踏み入れた。騎手とおぼしき男たちが整列して挨拶しているのに驚き、想像よりも拡い空間であることに驚き、スタンド内に児童遊戯室が用意されているのに驚いた。観るもの聞くもの、みな珍しく萬造は興奮した。
(やはり、現場を確認して良かった)
中央通路で馬券購入の用紙を手に萬造が唸っている眼の前を、お付を従えた市長が通り過ぎる。萬造は朝一番で来た理由を憶いだした。市長が開幕宣言で何を言うか、を直接聞きたかったのだ。それによっては、論旨を変更する必要もあるのだから。
しかし、今は馬券だ。刻々と表示される掛け率を基に考えた挙句は馬番連勝で、壱―壱拾、壱―四、四―壱拾、壱―参、参―壱拾である。それぞれ弐百円ずつ賭けて、壱阡円。これは萬造の壱回分の相談料参分の壱にあたるわけだから、あだや疎かに出来ない。
相談を持ち掛けてくる度に兼生は、相場では不相応な報酬を支払ってくれる。だが、萬造は黙って受け取っていながら、その金をすべて息子に送金していた。元妻には「お父さまから、預かった」とだけ連絡していた。
それを元妻がどのように兼生に連絡しているか、萬造は関知しない。けれども兼生自身、それを承知した上で萬造に支払ってくれているのでは、という思いもある。
市長の開幕宣言を取材するべく、報道各社がメインスタンド前に並んでいた。その列の後方中央に萬造も陣取り、腕組みをする。後方で「輓曳競馬廃止断固反対!」の幕を用意したフアンの集団が取材を受けているのが眼に入る。
(下に続く)
コメント(8件)
01-21 12:27
いくぽん @plala.or.jp
ここまで、1作目同様、止まらずスムーズに
読めました。
人情がらみではないとの予告通り、
市川さんスタイルの「淡々とした」文章ですね。
早く続き~(・▽・)
01-21 13:18
みっき-
つづきがほしいです・・・・♪
01-21 19:08
cask
未だうpされてませんな。
過去記事と被りながら読んでます。
01-21 22:09
市川 秀一
>いくぽんさま
>みっき-さま
>caskさま
もっと勿体ぶりたかったのですが、興味を失われないウチにアップしたほうがよさげですね。
01-22 15:48
cask
選考委員のs様
高校時代にセンセとして居た気が・・・
01-22 19:41
市川 秀一
>caskさま
ヘェェ。ま、その先生が誉めていたものを中心にお読みになられては如何でしょうか。
01-23 01:29
cask
直接習ってないんでね。ちょっと変わった名前の先生でした。
01-23 06:13
市川 秀一
>caskさま
午前中随分勢いよいアクセスが伸びたので900固いかな、と。それが800届かずですよ。夜にはいってから、全然伸びませんでした。
きつい批評、と受け止めております。
結果はどうなった?!/『端野萬造奔(はし)る』下
萬造の原点/『経営相談端野萬造』
小熊のひしゃく
その後のK・I・D
子供のいない人同盟 「K・I・D」
求めても出来ないあかちゃん/育てられないから作らない子供
萬造の原点/『経営相談端野萬造』
小熊のひしゃく
その後のK・I・D
子供のいない人同盟 「K・I・D」
求めても出来ないあかちゃん/育てられないから作らない子供
Posted by きむらまどか at 06:29│Comments(0)
│創作・勝毎アンソロジー