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きむらまどか
きむらまどか

2012年01月11日

アイ・エム

2006年8月9日(水) 20:24

アイ・エム



 今年の春は、なかなかやって来なかった。桜もつぼみの時期が長く、咲いたあとも気温が低くて、散ることもできなかった。花びらの桜色も、くすんで見えた。五月に雪もふる。十数年ぶりと、報道されていた。
 ところが六月になって、数日経過した途端、この街はいきなり夏になった。日差しは高く、日中の通りには半袖姿があふれる。昨日までの、肌寒さがまったく冗談のように。
 二十年前も、それは同じ。ただ、二十歳の頃は気にもしなかったが、四十歳の躰は、極端な温度変化についていけなくなっている。朝方、洟をかんだ。

 土曜の午後十時過ぎ、西一条十丁目近辺は結構な人通りがある。足取りがあやしい中年や、若く騒々しいばかりの集団をぬって、圭市は、足早に西一条を北上する。眉間のしわで、目的があって歩いていることをアピールする。ちんたら歩くと、客引きに声を掛けられてしまうからだ。
 去年買い換えた、チャコールグレイのスーツのすそが、街風になびく。今日から、スーツのボタンは外すことにした。それでも、腋の下には汗がしっとりとにじんでいる。着替えのとき、制汗剤を吹きかけなかったのを後悔した。圭市は、腋臭の気があるのではないかと気にしている。

 十丁目には西一条を挟んで、スーパーが向かい合っている。西側のスーパーの上は飲食店ビルになっていて、六階に奈央がチーママしている店「サースティ」がある。
 一度訪れたきり、「サースティ」には行ってない。あの晩入れたボトルは、水割り二杯分しか減ってないはずだ。
 奈央も、顔がみたいと言ってこない。圭市も逢わなきゃならない、とは考えていない。
 一ヶ月前の明け方、涙ぐむ奈央を路上で抱きしめた。二十年ぶりの抱擁。あの頃の圭市は結局、奈央を受け止めきれきなかった。その償いをこれからしようというのか。いやちがう。そんな必要はない、と圭市は靴音を高くする。
 でも、奈央とはまだつながっていた。

 東側のスーパーに入る。このスーパー独特の香りが鼻腔を満たす。圭市にとっては休日前の香りといってよかった。刺身のコーナーから検分するのを、土曜帰宅時の定番にしている。
 この時間帯になると、刺身や惣菜は半額まで、割引されている。意外と、競争は激しい。スーツ姿の男が多いが、単身赴任やひとりものとは限らない。自分のような家庭持ちも少なくない、と圭市はにらんでいる。時刻が遅くなればなるほど、めぼしいものは先に買われてしまっていて、ひとり宴の卓がわびしくなってしまう。
 ひとり宴とは、圭市が酒や好物を買ってきて、自宅で行う宴会。妻・冴子が命名した。息子・ひなたが生まれる前までは、職場帰りに行きつけの安居酒屋で一杯、二杯というのが、当たり前だったのだが。

 敵はライバルたちばかりではない。店長をはじめとする店員も、侮れない。店員たちは、圭市たちをハイエナかなにかと思いこんでいる。ショーケース前をうろついているうちは、絶対に半額シールを貼りにこないのだ。
 お刺身サラダは残っていなかったが、鮪のカルパッチョがあった。もちろん、半額だ。道産帆立刺し身も、美味しそうにぷりぷりしつつも半額。これだから、ハイエナ、やめられない。
 冷蔵庫に、イタリア産白ワインが冷えていたのを憶いだす。安物だけど、堅実な味。紙パックの清酒は必要ない。今日の勘定は安く済んだ。
 スーパーを出て、歩き出す。ちらと、奈央のいるビルを眺めたが、向かいからくる集団を避けるのに、視線を前に戻した。

 広小路を越えてしまえば、通りは急に寂しくなる。かばんと買い物袋を持つ手を切り替えた。酒の分だけ、今日の買い物袋は軽い。妻と息子が待つ部屋まで、あと十分。かつて造り酒屋だった土蔵横を通り過ぎる。
 恋に落ちた。いうなれば、恋という穴に落ちてしまった。自分で掘った「ウカレ穴」に飛び込んでしまってから、一ヶ月。冴子と結婚する前は、あちこちの穴に落ちたり、片足ずつ、ふたつの穴に突っ込んだりしていた。恋愛がゲームと一緒の時期。

 穴蔵の時期を過ごしてから、冴子と結婚。それからは、恋愛を楽しむというよりも、共同作業にいそしんでいた。それを望んで、結婚したのだから、なんの不足もない。長い新婚生活を過ごして、息子ひなたが生まれた。
 他の女性に興味をそそられることもなかった。面倒な感情を無意識に封印していただけなのだろうか。穏やかな日々を過ごしていた。夫として、父として。
 その圭市が奈央との再会に、崩れてしまった。偶然性。二十年前の記憶。高校生の奈央と大学生の圭市。忸怩たる別れ方をした相手。運命。特別な感情のゆらぎも無理はない、と自分を責めることはしなかった。

 携帯を持たない圭市に、奈央はインスタント・メッセンジャーを教えた。顔を合わせず、インターネットでつながっているだけの関係がはじまる。メッセンジャーを使って、キーボードとディスプレイを媒介した会話(チャット)。これが、数分あるいは数時間。ほぼ一ヶ月間毎日のように続いている。
 あの頃だって、毎日のように会ったりはしなかった。奈央と再会したときに、こうなるなんてことは、思ってもみなかった……。

 国道三八号を駆け抜けるクルマの列は途切れ気味。白いヘッドライトと赤いテールランプが交錯して、薄紅色の光線が走る。警察署前を左折した。
 十勝川の堤防沿い、集合住宅の一階東側に圭市家族の部屋がある。鍵穴にキーを差込んで回すやいなや、「おかえりなさーい」と冴子が飛んで来る。
 というようなことは、ない。冴子はこの時間帯、山のような洗濯モノの整理か、生協の宅配サービスのカタログと睨めっくらしているかの、どちらかなのだ。きょうは、カタログと格闘中。
「ただいま」食卓テーブルの上にどさどさと買い物袋を置く。
「おかえり。こんどは、なに買ってきたの」言いながら、視線をカタログから離さない。眉間のしわは中央に寄りっぱなしだ。
「鮪、帆立。それと、これ」テーブルの上に袋からひとつひとつ出す。
 最後に出したのが、『割れ栗お徳用』。冴子は横目でモノを確かめると「ありがと」と言った。好物なのだ。

「今日はお酒、買わなかったの」早速甘栗の袋を破る。
「はい。白ワインが冷蔵庫に残っていたと思うので」嫌な予感がしたので、わざと慇懃に答える。
「あ、それ、ちょっと使っちゃった」やっぱり、予感は的中した。
「えっ、なにに?」
「あさりのスパゲティ。お友達とランチしたのよ。おいしかったあ」屈託なく言う。
 冷蔵庫から白ワインを取り出してみる。半分ほどになっていた。料理酒ばかりじゃなく、食前酒にもなったことが明白だ。昼酒とは豪儀なもの。圭市は、小言を言うのも、あほらしくなった。
「新聞みた?」と栗を口にしながら、冴子が目を細めて言う。厭味を言い出すときのサイン。「二百組の夫婦に聞きました」
「はあ」圭市は読んでいなかった。
「相手の行動で長くてイライラするもの、妻の部第一位」またしても、嫌な予感。
「パンパカパーン。パソコン」でたあ。冴子は奈央とのこと、気づいているのだろうか。
「夫の部の第一位はなんだい」自棄になって、たずねる。「……外出前の支度」たしかに。

 ひとり宴を終えるのを潮に、おもちゃ部屋兼クローゼット兼書斎の四畳半に入る。コンピュータもそこにセットしてあった。
 電源を入れてから、おもちゃに溢れた机の上を片付ける。といっても、机の下に並べるだけだが。手にねっとりとしたものが、はりつく。匂いをかぐとチョコレートだった。
 ウィンドウズ98が登場して購入した我が家のノートパソコンだから、もう、七年選手。持ち主に似て、最近お疲れモードだ。立上がりは遅いし、少しほうっておくと、フリーズしている。予算案が冴子に認められず、買い替えの見通しはたっていない。

 インスタント・メッセンジャーを起動する。IDとパスワードを入力した。
TONG POO(Tab)******
『ログインしました』メッセージが画面に表示される。右下の時刻表示は23時30分。奈央はまだ勤務時間。オンラインになっていないことは、わかっているのだけれど。
「いつまでも、パソコンばっかり、触ってんじゃないわよ」冴子が覗きにくる。圭市はネットオークションを眺めていた。
「明日は何時に起こすの」冴子は朝が弱い。「ひなたが休みだから、起こさないでね。おやすみ」ひなたの寝ている部屋に入った。

『HAPPY AGEがログオンしました』画面下右端にポップアップ・サイン。奈央がオンラインになった。1時5分。普段なら、2時近い。
 すぐにチャット用の窓が表示される。
> HAPPY AGEさんが言いました。
『ただいま、圭さん』
 わざと、抛っておく。少し焦らすのも、楽しい。多分にひとりよがりだが。
> TONG POOさんが言いました。
『おかえり、奈央さん』Enterを押して、すぐキーボードを叩く。
『今日はずいぶん、お早いお帰りで』
『うーん。お店ヒマなんでえす。奈央、クビになるかも』

 どうやら、早仕舞いだったらしい。客も来ないのに、経費をかけることはない。お足をいただくほうだって、働いてなきゃ、おもしろくない。最近の不景気は目に余る。圭市のひとり宴を実践するのが、他にもいるということか。
『クビになったら、どうするんだい』
『圭さんの愛人』
『間に合ってるよ。もうこれ以上は無理だね』
 特別決めたわけではないけれど、それぞれの配偶者の話題には、触れないようにしていた。ふたりとも、意識して避けている。
『なーんだ。格安契約でいいのに。じゃあ、誰か探して』軽口感覚が、心地よい。クラスメートが適当に言い合っているのと同じ。

 会話や電話は、次ぎからつぎへと展開が強要される。それが苦痛なら、やめるしかない。チャットは、ペースを守れる。相手、自分、それぞれの都合があえば、続ける。あわなければ、やめる。便利なコミュニケーション・ツール。圭市は、気に入っている。
 長いこと、タイピングを続けると手首はだるさを訴える。気分転換も兼ねて、台所で水道水を喉に流しこむ。この間まで冷たさが心地良かったのに、今日の水では舌が喜ばない。氷を加えて、席に戻る。グラスの中身がか細く、鳴く。
 奈央の投げ掛けが圭市の応えを待っている。
> HAPPY AGEさんが言いました。
『最近、腰がにぶくイタイのね、ワタシ』
> TONG POOさんが言いました。
『店で立ってることが多いからかな』
『お客がいるとさ、座るわけにはいかないじゃない。忙しければ、気にならないんだけど。ヒマだとお話相手にならなきゃならないし』
『運動不足だな。いうなれば』
『いえてるー。ぜんっぜん、運動してない』
『ベッドの上の運動は?』軽く振ってみる。
『それも、ぜんぜん、ないー』
『ハアハア』圭市は水をのんだ。机がしずくで、濡れている。
『誰か、ワタシとしてくれないかな。もう誰でもいい。圭さんでもいい』ノッてきた。
『人妻なのに。なんですか。藪から棒に』
『そのボウでもいい』悪ノリ、過ぎないか。
『俺のは、使用期限終了してんじゃないかな』
『使ってみなけりゃ、わかんないじゃない。意外といけるかも』
『キスなら自信あるんだけど』   
『キスなんて、うざい。ただ、突いてさえくれれば、いい』

「うわっ」声を漏らしてしまう。圭市は慌てた。冴子にに怪しまれないかと様子を窺う。冴子は寝つきが悪く、寝ても眠りが浅い。物音はしない。どうやら、聞き咎められなかった。
 圭市も興にノッた。エスカレートする。
『あれだね。せっくすボランティアに頼めば』
『ああ、それいいね。圭さん、ボランティアになって』
 楽しみつつ、胸苦しくなってくる。画面上は淡々と進行しているが、指先は急速な展開に当惑していた。果たして誘惑されているのか。それとも、からかわれているのか。判断がつかない。
『あしたもダンナいない日だから、ちょうどいい、朝寄ってね、シャワー忘れないでね』と、奈央は調子を変えない


(奈央は、本気なのか)
 決断を迫られていた。これまでの付き合いを変化させようという誘いなのだ。圭市の指先は動きを躊躇している。鼓動は激しくなる。
『もう眠い。寝る』ようやく、それだけタイプした。困ったときは、眠るに限る。
『じゃあねえ。おやすみ』
『おやすみ』ログオフする。パソコンの電源も落とした。キーボードから、熱気が漂ってくる。
 奈央との関係を変化させたくない。今まで通りの付き合いであれば、どうってことない。める友と同じ。ただの古くからの友人。冴子に後ろ指さされることはない。
 なにも表示されていない、暗いディスプレイをみつめながら、圭市は自問した。
 奈央の躰、ココロ。もっと知りたいし、愛したい。自分のものだけにしたい。そんな欲求すら、意識する。
 満たされない何か。奈央は苦しんでいたのかも知れない。それを埋めてくれる存在。圭市。明け方の抱擁、キス。
 奈央がどんな思いで、涙を流したのか。圭市は、そのことに無関心だった。都合のよく、「ウカレ穴」で楽しんでいるだけの安易な自分を突きつけられていた。

 時計のアラームが鳴り出す前に、目覚めた。六時半。うっすらと外の陽気がカーテン越しにうつる。ベッドの上でしばらく眼を閉じていた。別室の冴子とひなたはまだ、寝ている。
 脳と躰が別物だった。四肢はいつもの朝と変わりなく、活動開始前のけだるさを筋肉の緩慢な動きが表現している。けれども、頭部の灰白色の物体は、既に疲労の信号を発していた。
 新聞を読みながら、電気カミソリをつかう。歯も磨く。読んでいるのに、内容は頭にはいらない。眠くはないのに、まぶたが重い。
 シャワーを浴びに浴室に入った。熱めの湯で、いつもより、念入りに、躰を、洗った。

 ・インスタント・メッセンジャー
【Instant Messenger】
〔名〕インターネット上で相手のオンライン状況がわかり、瞬時にメッセージを送信しあうソフトの総称。
 ・インモラル【immoral】
〔形〕社会的倫理に反する,不道徳な,ふしだらな,わいせつな       


コメント(3件)

08-09 20:44
市川 秀一
 面倒なので、”ウカレ穴”続編をアップしますた。この続編が”AJIが来た”となります。お察しの通り、間にもうひとつストーリーが存在しますが、まだ書けてません。

 このペースでは800アクセスはとんと無理。今回の実験もかなりの確度で意味無しですな。
________
08-10 00:44
市川 秀一
 猫’mamaさま。愛読者に喜んでいただける、というのはホント有難いものです。この続編は一体いつになるやら。

 使いまわし、ではありますが三つも記事ウップして554アクセスというのは、なんとも。実質500強に留まった。Kao氏からは約110マイナス。

 やっぱり、ワタシの場合タイムリーな報道性がないとアクセス呼び込めない、ということなのか。酔ってしまって、アップしたこと自体定かでなかった、というのも問題ですが。
________
08-10 09:05
市川 秀一
 さ、本日148超えたので、全くの新作をウップしてみましょう。


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Posted by きむらまどか at 20:51│Comments(0)創作・勝毎アンソロジー
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