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2012年03月20日

バレンタイン・デイ・キッス/無訪問の銀座はが野を語る

2007年2月11日(日) 09:00 ▼コメント:12件

 更新しました。ココまで語れる人間って、そんないないでしょうね。(3/3 7:12記)

 周辺情報、更新されてないんですけど、ヤル気あるんでしょーか、とエージェントから苦情が寄せられました。申し訳ございません。必ず手をつけます。モウしばらくお待ちください。今月中にはなんとか。

 感謝!!!! 日曜日、しかもアクセス呼び込めない創作モノ、という悪条件のなか900アクセスいただけましたこと、意外な喜びをもって受け止めております。
 やっぱり国生さゆりのトップ画像が効いたんでしょうね。あはは。

 ↓、唄のサワリが聴けまっせっ!!!

国生さゆり/バレンタイン・キッス2007

(2/12 6:10記)



 周辺情報はおいおい。ほんとは今日あげるつもりなかったのだけれど。

 おニャン子クラブも国生さゆりも、ドーデも良い人間でしたが、「バレンタイン・キッス」は当時からとっても気に入っておりましたね、なぜか。詞のフレーズ、曲調がドンぴしゃなんです。未だにこの曲が愛され続けている、というのはとってもよくワカル。


 参考記事

ウィキペディア:バレンタイン・キッス


バンレンタイン・キッス」が泣かせます。

チョコ好き必見/藤丸のバレンタインズコレクションが熱いのコメント


 いやぁ、18年前にカキコした”幻の作品”がついに世に出ました。感慨深い。供養になった。近いウチにあの人の供養もせんとな。

 この作品の題名は、当然ながら「バレンタイン・キッス」にインスパイアされて決めたのですけど、歌詞がさ、「バレェンタァイン・デイ・キ・イッス!!」ですから、「バレンタイン・デイ・キス」にしたんですよぉ。

 当時、曲名が「バレンタイン・キッス」とは認識してませんでしたね、実は。気付いたのツイこの間ですからぁ。


バレンタイン・デイ・キッス/無訪問の銀座はが野を語る




 部屋に鍵をかけながら、私はため息をついた。理由は、はっきりしている。これからしようとしていることが、つらくて堪らないから。
 別れを決意したとはいえ、7年間付き合った徹のことが嫌いになったわけじゃないのだから。

 徹との関係を終わりにすることにしたのは、私が加藤さんとの結婚を決めてしまったからだ。市役所に北高を卒業してから勤めた彼は、初めてデートしてから3回目、ロアジールでいきなり言った。

「佐知子さん、できたら僕との結婚、考えてみませんか」

 その問いに私は無意識に「はい」と答えてしまっていた。言ってしまった後で、徹の遠くを見る表情が浮かんだ気がしたけれども、後悔はしなかった。

 でも、ディナーの味が分からなくなってしまったのは、やっぱりショックが大きかったせいだろう。初めてプロポーズされたこと、そして、徹ではなく、加藤さんを選んでしまったこと。その二つが、ボジョレーを水ですらない液体に変えてしまったようだ。

 私が徹のことを知ったのは、南商に入ったばかりのこと。知っての通り、あの高校は男女の比率がとてもアンバランス。だから、全部のクラスには男のコがいなくて、男女混合のコンクラ、女のコばかりのジョクラができてしまうことになる。

 徹は一学年上のコンクラ、私はジョクラだった。南商の男のコは数が少ないってことで、モテモテなんだろうって、世間の人は思うかもしれない。けれどもそれは、とんだ認識不足ってもの。少ない分だけ、厳しいチェックが入ってしまって、全然チヤホヤされない。

 信用金庫あたりの男性独身職員が、女性に関して不遇をかこっているのと似たようなものかもしれない。そういえば、その信金女性職員は南商出身者一番多い。話が横道に逸れてしまった。

 入学してブランスバンド部に入ったばかりの右も左も分からない私に、トランペッターが声をかけてきた。それが徹と私の始まりだった。

 当時から徹は、女のコに手が早いことで定評があった。そういう意味では、南商の男子生徒としては例外になるのだろう。私と付き合う以前には、同学年のクラリネットと仲良くしていたみたい。お陰で、私は部活の先輩たちにも人一倍、気を遣わなければならなかった。

 それだけではなくて、徹は帯広で一番西の普通科高校のコの何人かともルンルンしてるっていうウワサもあった。

 けれども徹は「佐知子が一番好きだよ」としか言わなかったから、不安に思いながらも彼から離れることができなかった。

 古い例えで申し訳ないのだけれど、火野正平みたいなのだ、徹は。火野正平はとてもハンサムとはいえないのに、次から次へと女優と浮名を流してしまう。徹もそんな感じなのだ。

 南商を卒業してからも、徹は環境が違うだけで同じことだった。それに彼は定職につかない。基本的には飲食関係なのだけど、同じ職場に6ヶ月と保たない。

「色々見て歩くのは、勉強になるんだ」と本人は言っている。でも本当は単に飽きっぽいだけだということに私は気付いていた。

 黄色のボディに青ストライプのバスに乗って、街に出る。私が建築会社に就職してから、徹と飲みに出る時には、たいてい、この時間のこのバス。もう、彼に会うために乗ることはないんだな。そう思ったら、目尻がちょっと滲んだ。

待ち合わせたのは銀座はが野。徹が「一度、喰ってみたいな」と言っていたので選んだのだけど、私は加藤さんに連れて来てもらったことがあったから2度目。

 徹はちゃんと時間通りにやって来た。珍しい。2人並んでカウンターに座って、しゃぶしゃぶのコースを食べた。今日は私がご馳走するものだから、彼は「いや、旨い。毎日がバレンタインデーだったらいいねぇ」などと言っている。

「もし、今のところがクビにならなきゃ、ホワイトデーは期待していいよ」と調子の良いことも言った。どうせ、私から連絡つけなければ、ホワイトデーのお返しなんかないのに。

 2人の関係はいつも、そう。私の思いの一方通行。徹は投げ返すでもなく、身をカワすでもなく、ただ吸収し続けていた。いつかは返ってくるって、信じていたのだけれども。

 佐知子はね、もう疲れてしまったの。別に徹がフリーターだとか、浮気っぽいとか、そんなことは我慢できる。ただ、愛されているっていう実感が欲しかった。それだけ。

 もし加藤さんが現れなかったら、徹と別れようなんて思わなかった。でも、愛される悦びを知ってしまったら、もうだめ。徹のことはまだ好きだけれど、もう佐知子の気持ちは加藤さんに傾いてしまったの。だから、さよなら、します。


 結局、徹には何も言わないことにした。普段と変わらない話をして、3軒目の店セ・フィンを出た。エレベーターを使わず、階段で降りる。私から口唇を求めた。徹とは最後のキス。好きだったのよ、という気持ちだけは伝えたかった。彼は当惑げな顔をしている。

 いつもは2人で乗るハイヤーに、今日は独りで乗らなきゃならないんだ、そう思ったら、また滲んだ。

(了)



<< 周辺情報 >>

 北高:私立帯広北高等学校。かつて、帯広柏葉高校近く東4条南2丁目近辺に存在したので、「北」高。今はおもいっきり、帯広の南部にある。「三柏」のスベリ止め、としての面影も失われてしまったのは、経営陣の混乱のせいだろう。正統派セーラー服がカワイらしかったが、今はどうなのか。

 ロアジール:ここで登場するロアジールは現在地(西10南26)ではなく、創業の地(西1南11)でもなく、トリコロールハイツ(西5南9)時代である。ちなみにワタシ、創業時代の場所しかいったことはない。しっかりとしたフレンチを出していた印象があるのだけれど、現在地では洋食屋に変貌しているようだ。

 ボジョレー:言わずと知れたボジョレー・ヌーボー。この当時ですかね、やたらもてはやされ始めたのは。航空便でクルのと船便のとで価格が全然違うという。解禁日に呑む、ということだけに価値がある妙なワイン。

cask:ボジョレーヌーボーに物申す

 南商:北海道帯広南商業高等学校。現在は偉大なる空き地となっている西17条南5丁目にあった。創立直後の帯広緑陽高等学校が同一敷地内に存在したことがある。管内唯一の商業科。基本的に真面目なコが多いとの印象。男のコは気弱な感じのが多かったハズ。絶対数では圧倒的に少ないのだけれど。

 ルンルン:林真理子のエッセイ「ルンルンを買っておうちに帰ろう」で、当時すっかりメジャーな言葉となった。しかし、当時の林真理子は酷いルックスでしたから、「ルンルン」などという言葉とは無縁だったはず。あれ、犯罪だと思いましたね、ワタシ。

 火野正平:芸能人プレイボーイの元祖といわれる。決してハンサムではないのに、大したもの。「母性本能」をくすぐり、かつ「後腐れなく」別れる、という理想的な存在か。ワタシの憧れ。

ウィキペディア:火野正平

 黄色のボディに青ストライプのバス:広告がディスプレイされるなど考えられなかった当時の十勝バス。拓殖バスは赤地に白のストライプがイメージだった。勝バスを札幌あたりでみると、その色彩の異様さが眼をひくという。ちなみに勝バスと拓バスは経営陣同士が大変仲悪いらしい。そのせいで、路線の効率化がまとまらないというウワサも。

 銀座はが野:西1南10アポロビル1階に現在もある。帯広の鉄板焼きステーキの元祖だと思う。ここもワタシ一回も足踏み入れたことがない。どうしてかしらね。さっきまで「はがの」とオモコしてまして、本文も直しました。

帯広・銀座はが野

 セ・フィン:西1条南10丁目ライオンビルフクハラ館にあった。葡萄屋の宇佐美氏が経営していたバー。カウンターと一体化していたピアノが特徴。マスターの二口氏がハンサムで有名でしたね。何度か酔っ払って寝てしまった記憶が。


コメント(12件)

02-11 22:37
いくぽん @plala.or.jp
こういう文章は市川さんの独壇場でしょう。
同じように文章を書くことを趣味とし、
童謡の公募に作品を出す私は、いつもしっかり
読ませていただいております。

男性だからでしょうか、この淡々と語りかけるような
文体・・・。技術だろうなぁ・・・。

02-11 23:31
MARI @dion.ne.jp
18年前・・・、1989年ですね。
この文章の中に出てくる場所が、
自分の過去の思い出と重なって、懐かしい気分で
読ませて頂きました。

付き合っていたとしても、こういう別れ方を
選ぶ女性の気持ちを理解できます。
せつないけれども、現実につかもうとする幸せは
こんな形になるのかもしれないですね。

最後の余韻を頂いて、その続きは読者の愉しみですね。
次回作(供養作ですか?)も心待ちにしています。

02-12 00:44
月水
お昼休みに読ませていただきました
出てくる背景が身近で創造しやすかったぁ

>私から口唇を求めた。徹とは最後のキス。好きだったのよ、という気持ちだけは伝えたかった。

たまりませんな~
なんか若い頃の恋を思い出しましたよぉ

02-12 02:45
cask
古い!ww
国生さゆりですか。

悪く言えば、佐知子ったら二股掛けた訳ですね。

モテモテの私の場合、二股掛けられて、それを知っててもあえて知らん振り。だって、彼女が沢山居すぎてちょうど切ろうと思ってたんで都合が良かった!と言ってみたい←願望ww

02-12 04:19
いくぽん @plala.or.jp
ごめんなさい、「同様」です。
変換ミスヾ(・ω・o) ォィォィ

02-12 06:48
市川 秀一
>いくぽんさま
 この文体。早いハナシが田中康夫氏の十勝版をやりたかったワケですよ。女性一人称で当時何回か書きました。

 ワタシが書き残さずして、誰がやる? という気概ではあったのですが、まぁ、この程度。今回アップするにあたって、細かいところを何箇所かイヂリましたが、全体像はカワラズ。

 但し、残念ながら最後の2行の部分は原稿が欠落しておりましたので、萬造が付記した次第。恐らく、当時のワタシも同じような結びにしたのでは、と。

 全然成長できてない、ってことですかな。

 アンソロの入賞率では、いくぽんさま始め、常連諸氏には適いません。ワタシが書きたいものを書いて、なおかつ「先生方」も納得させることができれば、よろしいんですが。

 自分でツマンないものは、書けません。

 それが、ワタシの限界です。

>MARIさま
 本記事は手書き原稿を読み進めながら、それを転記する作業。過去の自分に再会する作業も並行したワケです。

 映画「バブルへGO!」に注目しております。なんせ、ホイチョイ映画の処女作「私をスキーに連れてって」はフェイバリットでして、年に一回は眺めてワラうという。

「きまぐれコンセプト・クロニクル」も発注してしまいました。

(続く)

02-12 07:03
市川 秀一
>MARIさま
 (続き)
 佐知子の選択は世間的にはただの「現実的な」選択に過ぎないかもしれないけれど、実は「愛にいきる女」の選択なんだよ、というお話でした。

 誤解をさせてしまいましたが、「あの人」の供養作は「マイとかち私論」とでもいうべき内容です。創作は、またの機会に。

>月水せんせえ
 身近な題材、ビョーキな思考、がワタシの原点でございますぅ。

 口唇、をクチビルにするか、くちびるにするか、そんな部分でも考えるワケですよ。大体において、くちびる、で変換かけても口唇、は出てこない。

 賢夫人、ワタシが創作に女性を出すの嫌っております。「あたしがモデルだって、思われるでしょうっ!!(怒)」でございましてね。

 撮影だけではなく、色々制限はございますよ。

 このキスというやつには、女も男も翻弄されるものですねぇ。

>caskさま
 貴殿の願望は「鬼畜」でございますか。あはは。

 国生さゆりのこの曲は、見事定番になってますよね。再録音されたようですが、聞きたくありませんな。イメージ崩れるから。

 すっきりとした顔立ち、そのままの性格とされていますが、そういったママさんがいるスナックがあれば、通ってみたいものです。

02-12 08:45
おさるのかぐや彩優木
昭和40年代生まれの人達に見事JUST FITな内容ですね(笑)
見事にあの当時の「色」が浮かんでくる作品。

この作品にはシンクロしないけど、自分の「恋愛至上主義」時代を少し思い出しちゃいましたww

02-12 09:12
市川 秀一
>おさるのかぐや彩優木さま
 しかも当時、十勝・帯広に在住していないとオモシロさが半減するという作品。

「恋愛至上主義」、キタ~~~~~っ!!!!、でございますね。「恋愛体質」とか。今たまたま探したら、コンナのございました。「恋愛至上主義を撲滅せよ」

http://eiji.txt-nifty.com/diary/2005/12/post_6e64.html

 ワタシがかつてした、コメントと類似するものがございますな。

http://www.mytokachi.jp/mt.php?id=maikyon&blog_code=68#comment31

 ちなみに彩優木さまは、どのくらいの期間ハマっていらっしゃいましたか。

02-12 10:10
おさるのかぐや彩優木
どのくらいの期間かぁ?

んー、いまでも!とは言いませんよ(笑)

強いて言えば5、6年かしら?
長さよりもいろんな経験だけは重ねた気がします。

02-12 11:01
市川 秀一
>おさるのかぐや彩優木さま
 真面目にご返答いただき恐縮でございますよ。

 なんだかワカラないけど、基本的にその相手のことだけ考えていれば、幸せ、という時期はございましたね、ワタシも。

 これまぁ、見解の相違かも知れませんけど、5、6年というのは短くありません?どうかすると、中学生時代から始まって、30過ぎても、となれば15年は軽く越えてしまうのでは、と。

 一般的に10年はあるんじゃないかな。飛び飛びの状態があったとしても。ワタシの場合はさて、何年か。

 今現在も恋愛至上主義だなんてカキコしたら、「現行不一致ぢゃないのよっ!!!(怒)」と賢夫人に叫ばれてしまいますが。

 う~ん、恋愛が意識の中で最も重要な時期というのは、う~ん、やっぱり10年は越えますね。

 でも、もし生活全てが恋愛至上であった、という時期は、う~ん、ないかもしれないですね。残念ながら、そこまでの自信はない。

 しかも、経験なんてものは皆無といっていい。頭の中で組み立てた恋愛で疲れてしまったせいでしょうか。

 やはり、彩優木さまにはカナイませぬ。

03-03 06:18
端野 萬造
 これから更新かけます。どこまで、やれますかね。

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Posted by きむらまどか at 07:44│Comments(0)創作・失われた街角
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