ルクセンブルグ大公国 都市国家十勝の必然性 Ⅴ
都市国家としてのランドマーク/ルクセンブルグ
現在、都市国家と称せられるものには、シンガポール、モナコ、サンマリノ、バチカンなどが挙げられる。だが筆者が想定している十勝の姿はこれらの都市国家ではない。アテナイなどの古代ギリシャの小国家(ポリス)群の一部で採用されていた、全市民参加の直接民主制の都市である。
自分達が住む地域のことは、自分達で考え、行動する。責任は当然自分に及ぶ。間接民主主義に慣れてしまった日本の住人は、自ら考えることを放棄し、責任をとらず、挙句不平ばかり言うか、あきらめて無気力に対応するかのどちらかである。
ルクセンブルグ大公国は、人口四六万人強、総面積二、五八六キロ平米。ユーロ加盟の小国である。国土の四方をフランス、ベルギー、ドイツに囲まれている。旧来は農業国であったが、一九六〇年代より鉄鋼業が経済成長を支える。石油危機以来の鉄鋼需要の低迷には、産業再編成を進め、金融を中心としたサービス産業を育成。現在では国民一人あたり総所得世界一位を誇る。小国ゆえに機敏な国家運営が可能であったのだろう。
立憲君主制をとり、議会は一院制。国を三つの広域行政区に分け、一二の県と一二六の基礎自治体(コミューン)があり、三層構造となっている。
十勝は人口こそルクセンブルグの七七・七%に留まるが、面積は実に四・一八倍、海にも面している。国土としての潜在力はルクセンブルグを大きく上回る。現在の市町村を県と考え、コミューンを町内会と考えれば、ルクセンブルグ大公国並みの体制は直ぐにも実現可能だろう。
しかし、都市国家十勝は経済大国を目指すものではない。人間が人間らしくあるために、自然と共棲し、農業を中心とした生活サイクルを実践することで、スローライフを実現できる国家・地域として、世界中に情報を発信することを目指すのである。
民族的、宗教的、イデオロギー的分離独立運動とは全く異なる概念である、都市国家十勝。ここには旧来のパラダイムに囚われない人間が、人種を問わず集まってくる可能性がある。そこからは、日本では想像し得ないような発想が生まれる可能性を秘める。
2006年6月19日(月) 06:20
コメント(2件)
07-27 11:55
みっき-
いやぁ~実現しないかなあ・・この話(笑)
_______
07-27 21:34
市川 秀一
> みっきー さま
自分でも書いてて興奮した記憶があります。
ルクセンブルグという国は、ああ、冬季五輪に出てるな、くらいの印象だったのですが、調べてみると凄い国でした。小国なのに、世界を動かしているんです。
十勝だって、その可能性を秘めています。でも、現在の国家体制では実現不可能なのも事実。さて、住民にとって、どの選択に夢を持てますか?
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